蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

伴名錬『百年文通』

 

Impression

 本作は「コミック百合姫」2021年1~12月号掲載の表紙小説として連載されたものをまとめたものだ。

 ある邸宅に残されていた机の抽斗を介して、現代と大正の少女たちが百年の時を超えて手紙を交わし合うという内容。

 書簡的な要素とか、離れ離れの登場人物による時空SF、歴史改変、そして少女同士の情感を交えた交流など、伴名錬の特徴的な要素が散りばめられていて、『なめらかな世界と、その敵』における著者のエッセンスが凝縮した一作となっている。また、主人公たちの行動と決断は結構大胆なので、読後の感想はちょっと分かれるかもしれない。

 それはそれとして、エンタメ的にめちゃめちゃ面白い。各章での引きにドキドキしつつ久々に次が気になって夢中に読んだ小説だった。

 序盤の小櫛一琉と日向静の時を超えた文通は、新海誠の『君の名は。』の夢の中で入れ替わっている主人公たちが携帯にメモを残して交流していく楽しさに通じていて、近くて遠い彼女たちがお互いのことや近況を報告していく過程だけでも引き込まれる。

 そして、そんな彼女たちのやり取りに心躍らせていると忍び寄る過去の事実。百年前に起こったことと今現在をつなぐ展開から、やがて一琉の置かれた状況が明らかになり、彼女たちの繋がりに訪れる危機。その転調の部分も効果的なタイミングで挟み込まれ、果たして時を超えた彼女たちの繋がりは切れてしまうのか――そんな、手に汗握る展開と、運命に立ち向かおうとする少女たちの戦いが胸と目頭を熱くさせるエンタメ作品に仕上がっていた。定められた過去との戦いは容易ではなく、彼女たちの戦いは何度も逆襲にあい、くじけそうになりながらも、過去と未来、そして一琉と静の繋がりが、“新しい未来”を掴む、というか掴みに行く。そんな強い希望の物語となっていた。

 

あらすじ

 その机は、過去とつながっていた。とある邸の書斎にあった机。その抽斗の中にあった恋文らしき手紙を、小櫛一琉が手に取って再び抽斗に戻した時、それは百年前の大正時代に生きる日向静のもとへと彼女を繋げた。

 書いた手紙を抽斗に入れ、閉じた抽斗をまた開けば、そこには相手からの返事が書かれている。そんなふうにして百年を隔てた文通を始める少女たち。

 知らない時代、知らない世界。彼女たちは手紙と、そしてやがて一琉が誤って送り込んだスマホによって、お互いをより近づけていく。

 それぞれの生きる世界を教えながら、ささやかだけど、かけがえのない繋がりをはぐくむ彼女たちの前にやがて、過去の脅威が立ちふさがる。

 

感想 ※ここから先はネタバレ前提で語っていくのでそのつもりで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この作品、構造は結構『君の名は。』に近い。楽しい日常の交流パートの後に不意打ちで現れる過去の事実。本作の場合は、百年前に起きたパンデミック――スペイン風邪の流行とその中で犠牲になる静という形で読者と一琉の前に現れる。

 その過去を知った一琉は、静とともにその運命を回避すべく、過去に介入していく。

 過去改変SF――というか、分岐世界というSFギミックを使い、一琉とやり取りしている静を一琉の世界の過去と分岐したパラレルワールドとして、運命をひっくり返すという、SFだからできる物語。いってしまえば安易ともいえる形で過去に介入し、積極的に過去を変え、望む未来を模索していく少女たち。

 その辺を含めて、この作品の反応は『君の名は。』と同様な形で分かれるとは思う。というか、本作は何の躊躇もなく未来の技術を過去に送ったりして、かなり積極的に干渉し合い、本来死ぬはずがない人が死ぬなどの歴史改変が起こるため、『君の名は。』よりずっとラディカルだ。

 一方で、そのやたらと未来のものを過去に送ったり、過去のものを未来に送ったりすることによる、彼女たちの周囲の反応というか、社会的に放っておかれることはないと思うのだが、彼女たちにそのうち社会が干渉してくるのではないか、という想定はあえて描かない形でバッサリ切ってある。あくまで百年を隔ててのパンデミックと、それぞれの家族についての悩みを軸に語られる少女たちの物語に著者は徹していて、それがとても効果的に少女たちの関係性からなる抒情性を引き出している。

 時間SFギミックによって百年前のスペイン風邪と現代の新型コロナを結びつけるというアイディアはとても秀逸で、現在進行形のパンデミックがぐっと読者を彼女たちに近づけているので、今読むのが一番いいような気がする。

 目には見えない脅威によって、引き離されようとする少女たちが、お互いをあきらめない姿勢で、それぞれが同じ距離だけ手を伸ばす。それもまた先行する『君の名は。』的な感興があり、その一点突破で突き抜ける潔さが本作の美点だろう。特に、日向静というキャラクターの未来を巻き込んで新しい未来を志向する行動力はとても魅力的だ。

 この物語はあくまで未来への希望と祈りに徹している。過去と未来を繋げる“箱”を作り続けた男――日向静の祖父もまた、恐らく彼の大切な人が生きている可能性の世界を求め続けたのではないか。過去の誰かを救いたいという願い、未来の誰かを救いたいという願い。あり得た過去、ありえた未来。それは現実ではない、現実を受け入れろ、そういう声が蔓延する中で、それでも夢想することをやめないのもまた人間だ。理不尽な現実が蔓延する世界で、救えないことが多すぎる世界で、ありえた未来を希求する物語が、どんな意味を持つのか。それは何の力も持てないのかもしれない。しかし、物語が描きうる世界への希望を書くこと。その物語が存在することは、悪いことではないと思のだ。

 過去を変えてはならない。そう、教条主義的に戒める物語もあるし、過去を変えようとする物語は、往々にしてそのような批判にさらされる。近いところだと、それこそ『君の名は。』がさらされてきた批判だろう。しかし、一方で自分たち次第で未来は変えられる、という物語は希望として語られることが多い。しかし、“現在”から見て“過去”の人々もまた、“現在”を生きているはずで、彼ら次第で未来を変えることはいけないのだろうか。

 『百年文通』は、過去の人たちが彼ら次第で、新しい分岐した未来を獲得する話だ。そして、現在の人々もまた、彼らの姿を見ていくことで、現在のパンデミックと向き合っていく。一琉の過去から離れ、別の“現在”となった静。そんな彼女たちが肩を並べて生きていくことを夢想する物語。自分たちのために、すべてを巻き込んで変えていく彼女たちの物語に込められたエネルギーは力強く、読むものに前を向かせる力がある。

 こうあって欲しかった現実がこぼれていき、そうでなかった現実を生きざるを得ないことは確かだ。しかし、ありえたかもしれない物語を携えて立ち向かうことは、空しいことなんだろうか。私たちの手を離れた“過去”がその現在を、未来を生きることを祈って、私たちは生きていってもいい。それがフィクションの力でもあるはずだから。