蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

笹沢左保『真夜中の詩人』

有栖川有栖選 必読! Selection4 真夜中の詩人 (徳間文庫)

 

 トクマの特選による笹沢佐保の「栖川有栖選 必読!Seletion」も第四弾。今回は誘拐ミステリの異色作。

 誘拐ミステリと言えば誘拐犯との交渉、身代金の受け渡しをめぐる攻防、そして誘拐された者の安否――といったものが中心に展開されるのが一般的な誘拐ミステリのイメージだが、本作はそれらをほとんど中心に据えずに展開されるという思い切りぶりにまず驚かされる。では本作では何が中心となるのか、ということになるが、それは子供をさらわれた母親――浜尾真紀による捜査だ。誘拐犯の一人がしていた香水の匂いが、まずは手がかりとなる。香水の話を聞いた彼女の母が何故か反応を示し、直後ひき逃げに遭って死んでしまう。深夜に誰かと会おうとしていたらしい母は何を知っていたのか。真紀は母の過去を探り始める。それは、自身の過去を巡る旅でもあった……という展開で物語をけん引していく手つきが上手く、けっこう枚数がある作品だが、飽きずに読ませる。

 ただ、色々な展開や要素を取り混ぜて長い物語を読ませているのだが、その丁寧な長尺によって、なんとなく作品の核に気がつきやすくはなっている。また、今回はタイトルの意味が作中の一個人の印象でしかなく、その人物たちも主人公たちのような物語で動くメインどころではないので、いまいちピンとこないところはある。

 

あらすじ

 老舗百貨店のオーナーの孫が誘拐された。オーナーにとっては孫という以上に、待望の男子ということもあり、テレビを通して必死の訴えがなされた。しかし、犯人は沈黙したまま時間がたち、今度はごく普通のサラリーマン家庭の男児が誘拐される。母親の浜尾真紀は、誘拐時、犯人がつけていた香水のにおいをなにげなく自分の母に漏らしたところ、母はその女の跡を追い、ひき逃げに遭って死んでしまう。母は犯人たちに繋がる何かを知っていたのではないか、そのために近づいたところを殺されたのではないか。真紀は母とその“百合の香水の女”との繋がりを独自に捜査し始める。犯人からの連絡と身代金の受け渡しが行われるのと並行し、孤軍奮闘で行われる真紀の調査はやがて意外な真相を暴き出す。

 

感想

以下は展開や事件の構造を示唆したりしているので、そのつもりで。

 

 

 本作ではこれまでの特選のように警察は背景にひき、市井の人が素人探偵として自身の事件に孤軍奮闘で挑んでいく。際立つのは主人公の孤独だ。

 ここで二重誘拐という設定がかなり上手い。百貨店オーナーの家族と一介のサラリーマン家庭、その二家族間の格差が主人公の孤独の根幹をなしていて、同じ境遇でありながら、確固とした違いを主人公に刻み込んでくる。さらに、夫との子供についての思い入れの差から彼女は孤立していく。しまいには一緒に調査していた妹とも、やがて妹が付き合い始めた男のことで不仲になってしまう。そういえば、妹との関係について、最初の一文が伏線になっているのは、ミステリ的に読み返してニヤリとするところだろう。こういうのはミステリ読みのツボを突いてきていて楽しい。

 最後の最後で今まで無関心気味だった夫がとつじょ頼もしく立ち上がるのは、「名探偵」然とした演出だとは思うし、それはそれで孤立していた彼女の希望の演出でもあるのだけど、それまでの男女の断絶みたいなのはうやむやにされて、なんかしらないけどやる気になった夫に好い所をさらわれた感もあって、個人的には何とも言えないところがなかったわけではない。最後の最後まで彼女が単身で“父”と戦い抜く展開でもよかったかもしれない。

 とはいえ、彼女の、自身のルーツを巡る捜査と事件の構造がしっかりと結びつき、誘拐テーマのミステリとして、今なお独自のテイストを持ち得ている本作は、誘拐ミステリの可能性を大きく開いた一作であることは間違いない。個人的にはこの素人探偵の捜査が自分のルーツを探す旅となり、それが事件の真相と分かちがたく結びついているというミステリの構造とプロットに感心した。

 誘拐が金品を得ると言った実利的な手段ではなく、誘拐する標的そのものが目的である、もしくは誘拐そのものが目的である、というアイディアはミステリとして非常に画期的なアイディアだったと思われる。この視点の発見が誘拐をいかにして金品を受け渡すのかという次元とはまた違った、ミステリならではの次元を開き、さまざまな驚きの展開を後続作家たちが開拓していったのだろう。そういう意味でも見るべきところが多い作品だと思う。