蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

愛と正義をもって読者をつらぬく物語:東崎惟子『竜殺しのブリュンヒルド』

竜殺しのブリュンヒルド (電撃文庫)

 物語の結末を暗示するような感想なので、なんの前知識を入れたくない人は読まない方がいい。

 

 

 なんかライトノベル読みたいなあ、みたいな軽い気持ちで手を出し、結構だらだら読んでいたのだが、中盤すぎてから加速的に引き込まれて最後は、まるで槍のような一撃を撃ち込まれた心地で読み終えた。

 物語としては復讐譚だ。幼くして竜に育てられた竜殺しの家系の娘が、育ての親を殺した生みの親への復讐を誓う物語。

 なにかを暗示するような冒頭から、回想するようにして始まる物語は、彼女の住む島、エデンでの生活や育ての親との交流が書き込まれ、やがて人間の侵略が始まり、捕らわれ傷ついた彼女は今度は育ての親のもとで、父の友人や兄といった人物と交流を深めていく。物語のモチーフとしては、作中でも出てくる「狼少女」だが、これをどう読むか、という観方が物語の核となり、登場人物たちの――竜の少女と人間の絶望的な距離を見せつける。

 いや、竜と人間というカテゴライズだけではなく、ブリュンヒルドとその育ての親にも、ブリュンヒルドの実父と彼女の兄にも、どうにもならない距離が横たわっている。結局のところ、この小説は、出てくる登場人物はお互いを理解しようとしつつ、向き合いながらもすれ違っていくしかない物語なのだ。

 他者を理解する、という物語は、なんだかんだで“他者を理解しなければならない”という影がつきまとうことが多い。では、他者を理解するとはどういうことなんだろうか。自分の気持ちを素直に打ち明ければ、それを聞けば、他者を理解できるのだろうか。ネットにはむき出しの「本音」が満ち満ちているが、それによって他者を理解できるだろうか。本作のブリュンヒルドは、彼女の兄には自分の本心を、彼の父――自分の実の父への復讐心を隠さない。彼はブリュンヒルドの心を知りつつもしかし、決定的なところですれ違う。それは、一方でブリュンヒルドとその育ての親とも同様だったりする。

 著者は、あとがきで本作は愛と正義の物語の話として書き始めたとしている。そして、最後に愛と正義の話ではないかもしれないとしながらも、しかし、勝利の話だとしめくくる。すべての登場人物が持つのは愛と正義だ。しかし、それらはどれも重なり合うことはない。たとえ、正面から向き合い、それをさらけ出したとしても、それぞれの愛と正義は全く揺るがず、そしてそれは、各々が誰とも共通されない結末へと至る。それは悲劇なのかもしれない。しかし、それぞれが自身の愛と正義を貫き通した、それは勝利の物語であることは確かなのだ。

 世界を広げるようなシリーズの取っ掛かりを作りながら、共生とか融和とかに向かう物語だってできたのかもしれない。しかし、この愛と正義をそれぞれが透徹した果てに見える景色は、著者の鋭い覚悟が、まるで研ぎ澄まされた槍のごとき一撃であり、それはこの物語を、忘れがたいものとして読者に刻みつけている。

 

余談:すごく個人的にだが、アジアンカンフージェネレーションの「新世紀のラブソング」の以下の歌詞がよぎったりした。

愛と正義を武器に僕らは奪い合って

世界は続く 何もなかったように