蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

特撮におけるフィニッシング・ストローク:『狙われた街』を見たあの日

 前身のブログに書いた記事を改稿して再掲。シン・ウルトラマン観たし、せっかくだから再利用。資源ゴミは大切にしないとね。……ウルトラマンの話じゃないけど。

 

 フィニッシング・ストローク、という言葉はミステリでよく使われる言葉で、最後の一撃という意味で衝撃のラストを指すものとして使われる。それは驚愕の真相、ということもだが、どちらかというとラストの一言が読者に突き刺さる、という趣向のことを指すことが主である。例えば、ラスト一行の探偵の言葉で犯人の名前が割れたり、手掛かりが語られたり、なんというか衝撃のセリフ、という感じだろうか。エラリー・クイーンの『フランス白粉の謎』などはその代表のような作品といっていい。

 私はこの最後の一撃――フィニッシング・ストロークについて、だいたいミステリ作品から受けた場合が多いのだが、ミステリ以外のものに一つ、その趣向を持った作品がある。それがウルトラセブンの第八話『狙われた街』だ。

 この作品を観た時のことは、はっきりと覚えている。私は高校生で、ウルトラマンは小学生のころビデオで「ウルトラマン」を数話(16話~18話)と中学生の頃に「ウルトラマンティガ」から「ウルトラマンガイア」を観たきりで、特にファンでもなんでもなく、ちょっと今更ウルトラかよ……というような年頃だった(とはいえ、仮面ライダークウガから始まる平成ライダーにはしっかりハマっていた高校生だったのだが)。

 そんな時に、10歳離れた弟がウルトラマンにハマり、過去作のビデオを片っ端からとりあえず親にせがんで借りてきては観ていた。

 私も一緒に観る時があり、ほとんどは正直ふーん、みたいな感じで特に何かを感じることなく、たいていご飯まだかなーみたいな感じでぼんやりテレビを眺めていた。そして、弟がその日観ていたウルトラセブンも、はじめはそんな感じでしかなかった。

 そんななか、『狙われた街』が始まった。画面の奇妙なアングルや演出を変な感じだ、と思いつつもまあいつものウルトラマンだろうなあ、とぼんやり見ていた私。

 今どきたばこに薬物を仕込んで地球征服とかムリだろ……古いなあ、という感じで苦笑いし、そしてまあ、最後も敵を倒して一丁上がりダナ――そんなふうに上から目線であざけっていたのだ。

 そして、あのナレーションが始まる。「安心してください――」のところまで私は完全に侮っていて、ハイハイ、ウルトラマンがいるから大丈夫って話でしょ、と思っていたところへ放り込まれたセリフは完全に不意打ちで、一瞬何を言われたのか分からなかった。

 ――え? なんだって? そして言葉の意味が分かるとともに、頭を殴られたような衝撃を受けた。……こんなこと子供向け番組で言っちゃうものなのか? よく分かんなさそうに見ている弟の顔を横目に見ながら、私は呆然としていた。あの最後のセリフで、私の中で『狙われた街』は、印象的な夕日の中、煙を吐き出す工場群とそのたなびく煙とともに永遠に刻まれることになったのだ。それは、最後のセリフだけで作品を決定づけてしまう、ある意味呪いのような言葉。セリフ一つで自分の中に作品を刻まれてしまった、そんな強烈な言葉の体験だった。

 何か急にナイフを突きつけられたような、子供向けにしてはあまりにも皮肉なメッセージは、それが動かしがたい現実であるがゆえに、ぼんやりと観ていた高校生の胸を突いたのだった。私はその後、弟に隠れるようにして『狙われた街』を何回も再生した。

 ただのノスタルジックなのではなく、きっと何時までもそうはならないがゆえに、この物語は世代を超えた永遠の寓話となって、これからも誰かに対して不意打ちを喰らわせていくのだろう。観ていない人はぜひ観てほしい。語り継がれる実相寺監督の演出も、見所の一つ。

 もちろん、人によるとは思うし、こういうやたらすごいすごい騒いでる文章のせいで、いざ観るととなんだ、みたいなことになりかねない気もするので、まあ、以前の私のように、大した期待はせずにテキトーな気分で観るのが吉だろう。

 最後に、ウルトラマンウルトラセブンにおける実相寺監督回は鉄板みたいなもので、封印されたセブン12話を含めて全部面白い。個人的なベストは『狙われた町』(ウルトラセブン第8話)『地上破壊工作』(ウルトラマン第22話)『故郷は地球』(ウルトラマン第23話)『遊星より愛をこめて』(ウルトラセブン第12話)『第四惑星の悪夢』(ウルトラセブン第43話)。まあ、だいたいみんな好きな回だ。