蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

孫沁文『厳冬之棺』(訳:阿井幸作

厳冬之棺 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

Impression

 日本以外のアジア圏、特に中国のミステリに注目が集まっている昨今。向こうにも英米のクラシックなミステリにとらわれた人間がいることを、そして名探偵だトリックだのに拘る日本のいわゆる新本格ミステリ的なものを書く人間がいるということを教えてくれる一作。

 本作の著者は日本でいう本格ミステリ志向の作家のようで、“密室”に並々ならぬ関心があり、これまで発表された作品はほとんどが短編ながら、その短編(二〇二一年時点で)五七編のうち、密室物が四四編にものぼり、かなりの数になる。ここにもいたんだな「密室バカ」が、とうれしくてたまらない。

 本作はそんな華文ミステリ界の「密室の王」が、二〇一八年に発表した初の長編だ(今のところ長編は本作しかないらしい)。いわくありげな伝説をはじめ、胎児のような形の湖のほとりに立つ館と、そこに住むクセのある資産家一族。やがて起きる殺人事件はいずれも密室という、まあコテコテの舞台と展開。そこに巻き込まれるのが声優の卵だったり、事件に挑むのがアニメ化を控えた超人気漫画家、というのが現代的というか、なんの注釈もなく挿入される日本の漫画やアニメをはじめとしたサブカルチャーなども含めて、新本格以降の本格ミステリと親和性が高い感じ。事件を捜査する刑事も、密室事件の専門家リストなるものを持っていたりするのもなんか親しんだ感がある。

 作中で展開される密室も新本格なテイストで(犯人がすごい大変だが)遊戯的で面白いトリックが楽しい。メインの三つとも、なかなかいかにもなトリックでよかった。

 メインの古典的な事件以外にも、全体の複層的なプロットとか、周到に張られている伏線なんかも良く、密室を解いてからの犯人を指摘するロジックもかなり良かったと思う。なかなか楽しくて、本格好き――特に新本格好きなら読んで損はないだろう。

あらすじ

 資産家一族の陸(ルー)家の当主が殺されているのが発見された。現場は館にある半地下の貯蔵庫で、一つしかない入り口は数日前からの大雨でほとんど水没していた。中は乾いていて扉が開閉された痕跡はない。水による密室という状況が作られていたのだ。そして現場には焼かれた嬰児のへその緒が。また、当主の部屋からは呪いに使う釘が発見され、それを見つけた一族の一人もまた密室で殺されているのが発見される。そしてそこには、同じように嬰児のへその緒。

 さらに密室殺人が一族を襲い、紛糾を増す事件に、捜査に当たっていた刑事の知り合いにして似顔絵顧問の漫画家が挑む。

 

感想 ※まっさらな気持ちで読みたい人は読んでからを推奨します。

 

 

 なかなか良かったですね。中国人名を覚えるのはまあまあ大変なんですけど、章が変わるたびに、ルビを振りなおしてくれていて、その辺かなり親切でした。陸家に下宿していて事件に巻き込まれちゃった声優と、憔悴して実家に帰ろうとしている彼女に、自身のアニメ化される漫画のヒロインをやってもらうため、事件に挑む探偵のキャラクターとかも良かったです。

 作中の密室トリックも、どれもいかにもなトリックで楽しく、そこそこシンプルなものから、豪快で手間暇かかった機械系トリックとなかなかなトリックでした。水の密室は扉を閉めるときの水圧が気になるけど。第三の密室なんかは北山猛邦な豪快さがあって結構好き。

 密室もいいけど、犯人をあぶりだすロジックもなかなか凝っていて、密室を解いて終わりなだけじゃない、推理の厚みがあってよかった。特に探偵のある特性についてのちりばめられた伏線とそれをジャンプボードにした推理とかが良い。

 ところどころ大味なところがあるけど、ばらまかれた伏線が回収されて、様々な事件周辺の要素が収束していく手つきはとても楽しく読めました。個人的には冒頭の“死のクロッキー画家”が最後にそういう回収をされるのかという――いままで助手的なポジションの声優の推理で戦慄するラストも好きでした。なんか映画『殺人の追憶』のラストみたいな、虚を覗き込んだ感があってよかったです。