死んだら「ひと」の心の中へ行く。
結構読もうか読むまいか迷っていた。
なんていうか、自分の中である種理想化されていた作家の最晩年。一応のところ、その「現実」を話には伝え聞いていた部分はあった。人によっては孤独であり、まあ、「悲惨」と言う人もいるのかもしれない。
その作家自身から極りょく目をそらして、“アルコールに溺れて書けなくなった作家の晩年”とテンプレに収めることもできるだろう。というか、自分はそんな風にぼんやりと処理していたところがあった。
この本、というか写真と短い言葉がつづられた記録には、その作家の最晩年の一部、その「現実」が映し出されている。読まなきゃよかった……という思いが去来したことは事実であり、それは作家の言葉を含め、ここに刻まれたものが、どうしようもなく哀しいものに思えたから。
ひょうきんな姿をはじめとした日常のなんてことない姿もあるし、こちらをはっとさせるような作家のたたずまいを見せる相貌もある。書けないことを吐露する文章や酒をくれない助手に対する不満。それもすべて、搬送され、病院で衰えていく姿に収斂されてしまう。最終的には誰にでも訪れることだとわかっていても、やっぱりそれが哀しいのだ。
己の人生は結局何だったのか。なんとしてでももう一度、小説を書きたい。死んだらどこへ行くんだろう――どうしようもなく迫り来る死を写真はとらえる。
それでも、作家は最後まで言葉を残した。小説は書けなくても。
最後の最後まで、どうしようもなく、ひとの心に残ってしまう、そんな人だったのだろうな、と。その呪いにも近い言葉や作品を思い出しながら、またしばらくしたら、残された作品やその言葉を通して、再び彼の「こころ」の中へと入っていこうかと、そんなふうに思った。
哀しさの中にも、作家の残した光をとらえた、そんな本だった。
最後の最後に、中井英夫とその写真を撮っていた助手、本多氏のツーショットが載っているのだが、なんだかいろんなものを飛び越えたふたりの姿は、修学旅行中の学生みたいな雰囲気で、ちょっと吹き出してしまった。ほんとにいい写真だと思う。