蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

野村亮馬『インコンニウスの城砦』

インコンニウスの城砦 (馬頭図書)

 

あらすじ

  氷期を迎えつつある惑星。少しでも温暖な赤道面を巡り、世界は北半球と南半球に分かれて争っている。「深い湖」のカロは、孤児院から南半球側の密偵に志願した少年だ。彼は北半球側が建設中の56号移動城砦――その地下工廠に潜り込み、そこで見聞きした情報を持ち帰る任務に就く。

 燃素管動作試験助手として首尾よく潜りこみ、同じ密偵で指導係のニネット、先輩のニドらとともに密偵としての日々を過ごすカロ。56号移動城砦の情報を探る彼ら南半球側は、同時に城砦攻略のためのゴーレム――戦略巨像を建設中であった。カロからの報告が、戦略巨像の仕様を決定づける。

 両陣営ともその兵器を着々と建設してゆく。そして、カロたちが潜む街に北半球の皇帝、インコンニウスが凱旋してくる。移動要塞が起動する日が近い。カロたち密偵たちは来るべき戦闘に向けて動き出す。そして、同じように北半球側もその動きを察知していた……。

 

感想

 なんというか、まずその世界観に魅せられる。緻密に描かれた、少し絵本のおとぎ話のような雰囲気。北と南に分かれているわけだが、北側は魔術を科学に援用しているような国家で、南側は北側が掠め取っている魔術の大元たる神人たちが支援している国家という感じだろうか。北側の科学と魔術が混交している感じがとても面白く、特に物語の根幹にある燃素管――召喚魔術を故意に失敗し続けることでその神からエネルギーを掠め取っているという要素は、その世界を象徴している。あまりはっきりとは語られないのだが、北と南の人間同士の争いの他に、魔術を不正に使う人間とそれをよく思わない神人との対立があったりして、物語に深くは関わらないが、そういうさりげない二重構造が作品世界の奥行きを感じさせるものとなっている。

 物語そのものとしては、密偵として移動要塞で働くカロという少年を中心に淡々と進む。カロはあまり感情を表に出さない。カロと深く関わることになる指導&監視係のニネットも笑みを見せることなく、硬い表情で敵情を探るという緊張感の中、カロをじっと見つめるのみだ。そのぶん、先輩のひょうきんなニドやカロが助手として付く仕事場のサグマ老人たちが、その緊張で凍てついた物語に少し明かりをともすような存在となっている。

 そして、だからこそどこか冷たいカロとニネットの二人の姿が印象深く浮き上がってくる。ニネット――眼鏡の奥で厳しい目をした女は、カロを世話しながら密偵としてのカロを監視している。裏切るな、彼女はカロにそう繰り返す。彼女の過去は詳しくは語られない。しかし、裏切りによって多くの仲間を失ってきたことは伺える。はたからは姉弟のように見えながら、しかし、二人の距離はあくまでつかず離れずのまま、取り立てて通じ合うような描写ははっきりと描かれない。しかし、その二人の微妙なあるかなきかの、視線を交わしてはそのまま通り過ぎてしまうような関係性が、この漫画の核のような部分だ。

 カロもニネットも特に内面を言葉や心の声で吐露するような場面はない。しかし、微妙な仕草は描かれている。それぞれを見る視線や一人の時の表情。そんな彼らのかすかな機微をたどり、物語はあくまで静かに、だが決定的なカタストロフを経て、憎悪の目を向ける者、そしてそれを受け止めるしかない者が交錯し、彼らを取り残すようにして物語は終わる。

 鮮烈というよりは降り積もる雪のように、堆積するしかない何かを見ているような終わりが読者に訪れる感覚。どこかやりきれなさを含んだ、しかしとても印象深い物語だったと思う。個人的にはなかなか言葉にしがたいものが描かれていて、とても好きなタイプの漫画だ。