蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

 だらだらと『ゆるキャン△』の劇場版を見ていた。

 なんというか、テレビ版の壮大、じゃないな、長大な後日談を見ているような感覚だった。映画として面白いとか面白くないとかじゃなくて、彼女たちの人生の延長、その日常を画面越しに眺めているような感覚。まあ、それはそれで悪くない。

 しかし、仕事をしながら、休日に山梨の山奥に赴き、ボランティアで市の設備をキャンプ場に改修するとか(しかも、発掘作業の手伝いまで……これもボランティアっぽい)、趣味の延長なのかこれ……という気も色々するが、お金云々の生臭い話はもちろん脱臭されている、というかそもそもスルーされている。なんだかんだで、みんなそこそこ中産階級的なリッチ感は維持されていて、どこまでも平和でまったりとした空間が広がっている。もちろん、それはある種のファンタジーであり、このアニメはもともとそういうファンタジーに浸ることが目的ではある。とはいえ、高校生というモラトリアムな空間が解けて、なお広がる趣味のファンタジー的な空間。その空間をなんかこえーな、と思ってしまった。

 まあしかし、同時に依然としてある種の理想的な空間として、ぼんやりと見ることができたことも事実ではある。

 というか、社会人になって、それなりに変化しつつもかつての関係やそこで生まれたものをその変化した中でも維持することはできるし、再現することはできるというポジティブさは、なかなか悪くはないのだろう。

 それよりもアニメの登場人物が地味に変化しているのに、自分のほうが変わっていないことが余計あらわになっていく気がした。相変わらずリアルに友達がいないままとかそういう問題以前に、他人が当然のように築いていく人生のステップが踏めず、だらだら何もしないままただ年を経ていく……

 だぶん、「こえー」のは自分の方なのだろう。