蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

中西鼎『東京湾の向こうにある世界は、すべて造り物だと思う』

東京湾の向こうにある世界は、すべて造り物だと思う(新潮文庫nex)

 

 

青春の死体を見せてあげましょう

 

Impression

 過ぎ去ったはずの青春、その残り香としての彼女。しかし、彼は彼女と触れ合っているうちに気がつく。青春は過ぎ去ったのではなく、自分はそこに取り残されてしまったのだと。これはそんな青春に本当の意味で別れを告げる物語だ。

 

あらすじ

 高校時代、ぼくは民族音楽研究会という名の軽音部に所属していた。そこで川口未珠奈――ミズ――という少女と大半の時間を過ごしていた。ぼくらはその青春をバンドに捧げ、彼女のオリジナル曲を高校最後の文化祭で演奏する――その三日目が、ぼくらの青春のフィナーレになるはずだった。でも、ぼくらはライブを行えなかった。その日にミズが死んでしまったから。それも頭を殴られ、首を絞められて。ミズはその死に謎を残したまま、ぼくの前から消えていった。

 彼女の死から五年が過ぎ、サラリーマンとして灰色の日々を過ごすぼくの前に突如彼女が現れる。幽霊のような存在のミズは文化祭最後の日から何事もなかったようにぼくに接し、当然のようにぼくの部屋で過ごし始めていく。仕事の合間にカウンセリングに通うぼくが、そのどうしようもなく砂漠のような日々に耐えられなくなって生み出した幻なのだろうか。しかし、ミズとの交流はあの日の続きそのものであり、ぼくはそのうち、思い出すのをやめていた文化祭最終日――彼女の死について再び考え始める。

 彼女の死によって止まったのはミズだけではないことに向き合い始めるぼく。そこにはぼくがいて、そしてその他のバンドメンバーもいた。ぼくらはもう一度止まったぼくらの青春を、ぼくら自身の時間を動かすため、ミズの死に込められた青春のほころびと向き合い始める。ぼくらが、自身にかけた呪いを、解くために。

 

感想

 東京湾の向こうにある世界――それはどこか茫洋として、自分の今いる世界の想像の範囲外で、だからそれは造り物めいている。十代のころ、自分が行ける範囲なんて限られていて、学校と家を行き来し、住んでる町から遠出してもたかが知れていて、そんな十代の世界の限界――その認識をこの言葉に込める著者のセンスは際立っている。

 東京に住んでいようがそうでなかろうが、かつて私たちの世界は「外」があり、その向こうの造り物めいた世界を眺めていた。その限界の「外」が彼岸へとすり替わる時、それは死への憧憬となるのか。死なずに済んだ私たちはその「外」へと踏み出せる代わりに、そこは茫洋とした日常の広がりの延長でしかないことを知る。どこまで行っても、私の世界の延長でしかない。そこでまた、生き残った私たちは立ち止まってしまう、そのあまりの茫漠さに。

 ゴーストストーリーでミステリ。そして青春小説。前半部分というか、七割くらいは幽霊となって現れたミズの死の謎を探るミステリとして進行する。それだけでもなかなか悪くない。がちがちのミステリではないかもだが、密室やそれを形作った動機の謎、そして彼女を取り巻くメンバーたちの思惑が絡み合って形成されたミステリの出来はしっかり作りこまれたものだ。そして、そのミステリ部分をランチャーとして、この小説はその本領である青春小説として打ち上げられていく。私はその部分を気持ちよく見送った。

 

 

 

※ここから先はネタバレを含んだ感想となるのでそのつもりで

 

 

 

 

 謎を解く過程で、ミズの死というのは、過去にあった青春の残り香以上に、彼女が周囲を巻き込んで生じたハタ迷惑なものであるのは否めなくて、ミズというある種のメンヘラに振り回されたメンバーの井波や明里は、それによって「彼女がいた青春」に閉じ込められていることが明らかになる。彼女の希死念慮はメンバーたちにとりついているのだ。それを、ミズを含めて井波達メンバーがもう一度バンドを組んで、やれなかった文化祭三日目のライブで祓う。

 ミズが死んで止まっていた、過ぎ去ってなんかいなかった彼らの青春から、ついに別れを告げるために、彼らはもう一度バンドを組み、彼女とともに演奏する。彼女の歌が、彼女とメンバーたちの青春の弔歌となる。バンドという要素をゴーストストーリーにからめ、ここまで効果的に機能させているその物語構成が見事だ。

 あと何より、このライブを使った演出がいい。井波のものへなら干渉できることを利用して、彼のスピーカー越しに声だけで参加することで、幽霊とのライブを成立させるとともに、その声が途切れることが、彼女の昇天を印象付ける。これほど、秀逸な幽霊の消失シーンを私はあまり知らない。

 彼女を見送って、井波は旅に出る。東京湾の向こう側――ミズと最後に行った伊豆諸島のさらに先――オーストラリアへ。彼女を見送って、それでも井波の人生は続く。続いてしまう。

 向こう側へはいけなかった私たちは、どこまでも広がる私たちの世界――日常に、時に立ちすくむ。それでもその先には知らない世界があり、知らない人たちがいる。そのことを噛みしめながら、一つづつ年を取り、生きていくしかない。東京湾の向こう側に広がる世界――造り物ではなくなってしまった、私たちの世界の延長で。

 

 

 この作品はいつも質の高いレビューを矢継ぎ早に繰り出していて、大変参考にしている青さんのレビューを読まなかったら手に取ることはなかった。買ったものの「青春」というものに気後れしてKindleの片隅で3年寝かせてしまったのは私の不明でしかない。ある種の青春のテンションが濃密に込められた青さんのレビューに感謝。それにしても「青春の解決編」というフレーズは秀逸だなあ。

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