蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

ハリボテな幽霊屋敷に潜むもの:ジョン・ディクスン・カー『幽霊屋敷』

幽霊屋敷【新訳版】 (創元推理文庫)

 

あらすじ

 執事がシャンデリアに飛びつき、落下したそれに押しつぶされるという不可解な事件が発生した屋敷。その過去のいわくに興味を持ち買い取った新しい持ち主により、幽霊パーティーが開かれるが、今度はそこで不可解な殺人事件が起きる。それを目撃した被害者の妻いわく、掛けてあった銃がひとりでにジャンプし、夫を撃ったのだという。そんなあまりに不可解な現象は、屋敷に潜む足をつかむ幽霊の仕業なのか。事件の真相にフェル博士が挑む。

 

感想

 1959年に創元推理文庫で出ていた同タイトルの新訳。早川のポケミスだと『震えない男』となっていて、こっちが原題に近い。読み終えてタイトルの意味が分かるという趣向を考えるとポケミスのタイトルを意識しながら読むといいかもしれない。

 本作は1940年に発表されたフェル博士シリーズの一作。第十二作目なのでおよそシリーズのちょうど中間にあたる。40年にはヘンリー・メリヴェール卿のシリーズにあたる『かくして殺人へ』『九と死で十人だ』なんかも書かれている。

 大きなトリックを中心に据えるというよりも、犯行そのものを複雑な形で合成するような傾向の作品群の一つという感じだろうか。

 本作は直球の幽霊屋敷という題材で、カーお得意のオカルティズムが展開されるのかと思いきや、実のところ怪奇趣味的な雰囲気はどこか控えめだ。しかし、意外とその淡白な怪奇趣味が、「幽霊屋敷」の真相と二重写しな感じになっているのと同時に、真相を補強するような形にもなっている。トリックそのものは何とも言えないモノではあるのだが、そのトリックと“幽霊屋敷”との結びつきはなかなか面白い要素になっていると思う。

 まあ、トリックを明かしてビックリすることを主眼とした作品ではなく、トリックが明かされてからがこの作品の本番だ。そこに作者のカーは力を尽くしていて、二転三転する真相に加え、フェル博士まで驚きのトンデモ行動に及んでくれる(まあ、真相にはそんなに関係はないが、しかし探偵としてはどうなんだそれという)。

 確かに読んだ人が口をそろえて言うように、カーの最良の作品ではないし、特にベストに上げられるわけではないだろう。ただ、要素要素に忘れがたい魅力……とまではいかなくても、どこかいわく言い難い印象が残る、そんな作品になっている。それは、カーにしかない、カーの作品だからこそ味わえる不思議な魅力なのかもしれない。

 あと、ある手掛かりがけっこう印象深いというか、ある描写から人物の関係性を推理するのだが、特に書いてあったかどうか覚えてなくても、そういえばそうかも、みたいな納得感を与えてくるのが上手い。あと、トリックに関しては、銃の並びがめちゃくちゃになっている、というのも端的かつ魅力的な手がかりだ。

 

以下はちょっとネタバレ前提な形で感想を書いていくのでそのつもりで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 この作品の個人的最大の面白ポイントの一つは、幽霊屋敷という怪奇を舞台にしながら、どこか淡白な印象というのが、実は「幽霊屋敷」でも何でもない屋敷を幽霊屋敷にしようとして仕掛けがなされていたという真相とリンクしている点である。屋敷の怪奇も即物のでっち上げでしかない。

 理化学的な仕掛けが施されたまがい物の幽霊屋敷であり、だからこそ、その淡白な描写に納得性が出てくるというのが面白い。そして、そのために施されていたわけではない仕掛けが、殺人装置として屋敷を買った人間が利用するというプロットもなかなか面白いというか、どこか日本の館モノに通じる“殺すための館”なテイスト。ある意味、新本格の館ミステリの先祖的な存在じゃないだろうか。

 そして、実行犯とそれを操る裏の犯人という構図。そしてそれを崩してしまうのが主人公という真の無自覚な実行犯という真相がまた面白い。原題の「震えない男」の“震えない”は、ニュアンス的には“戦慄しない”という感じっぽいので、この話の無自覚な殺人者たる語り手こそがタイトルの男だったという趣向もなかなかいい。

 それから、カーが実行犯を操る上位犯人を書いていたのはちょっとした驚きというか、割と珍しい気がする。そして「危険を冒さない」と自称するその犯人は、末路も含め結構カーの中でも印象深い犯人になっているのではないだろうか。

 その末路についてだが、この作品の発表年の1940年といえば、第二次大戦の真っ最中というか、ヒトラーがヨーロッパを席巻せんとしていた時期だ。フランスが降伏し、イギリスは激しい爆撃にさらされていく連合国劣勢の時代。とはいえ、作中には特にそんな暗い時代を感じさせる描写は特にない。その分、最後の最後にそれが犯人の末路として強烈に刻印されている。

 結局のところ推理では証拠をつかめなかった犯人を、最後の最後で裁くのが戦争というのが、なかなか皮肉な感じであり、カーがこれまで書いてきた探偵のどこか無力な姿を少し印象付ける。それはやはり、戦争という時代が、カーにもどこか無力感というものを感じさせていたのかもしれない。これまで濃厚に垂れ込めていた従来の怪奇やオカルティズムが、どこかつまらない即物的な文明の産物に吹き払われてしまっているようなことも含めて。