蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

こういう怪獣映画が観たかったんだ:映画『トロール』

Impression

 ようやく観たかった怪獣映画が観れた。感想を一言でいえばそんな感じだ。平成ガメラ以降の渇を十分癒してくれる、見事な怪獣映画だった。まあ、『ゴジラS.P』や『ゴング 髑髏島の巨神』もいい怪獣映画ではあったのだが、もう少しなところが個人的にはあり、この作品でようやく、心の底からあの1954年の『ゴジラ』や平成ガメラの系譜に連なる怪獣映画を観ることができたという気分だ。

 それぐらい、自分には最高の怪獣映画だった。Netflixで公開されているので、観れる人はぜひ見て欲しい。怪獣映画好きはマストだ。てか、トロールと聞いて『トロールハンター』が思い浮かび、せいぜい5メートルくらいの巨人がわらわら出てくるのかなと思ってそんなに期待してなかった分、というのもあるかもしれないが、ほんとに思わぬところで期待以上の怪獣映画に出会えてしまい、なんかめちゃくちゃ興奮している。

 きちんと怪獣映画の文脈を参照しつつ、しかし「知っている人」への必要以上の目配せや「好き」で囲い込もうと特にしないことが、個人的にはとても好ましい思いもした。なによりも自分たちの怪獣映画を作るというその思いを優先して観客にぶつける、そんな映画に仕上がっていると感じたし、私はそういう映画のほうが好きだ。

 しかし、日本で劇場公開しても良かったと思う。まあ、トロールなんて題材で日本の客が食いつくとは思えないけど……だけど、怪獣映画好きを自称するなら観てみる価値は十分ある。日本にかつてあった怪獣映画のテイストが十二分に炸裂する本作を、スクリーンで観たかった気にきっとなるはずだ。

 

あらすじ

 それは、ノルウェーの開発中の山に眠っていた。

 ドブレ山脈における鉄道工事の現場――環境保護団体が反対のプラカードを掲げ、シュプレヒコールを上げる中、作業員たちは掘削のための爆破作業を進めていた。

 抗議する人々を嘲笑するように爆破のスイッチは押され、山の坑道の中からは地響きと土煙が漏れてくる。そして、その中からそれは現れた。

 そこにいた全員が何かを見、そしてそれに襲われた。作業員も保護団体も等しく。

 現場にいた人間が撮っていた映像に映っていたモノ――それはなにか巨大な生物のように見えた。 

 古生物学者のノラ・ティーデマンはこの事件を受けて設立された軍の作戦指令室で、その映像を目にする。現場の様子から巨大生物の存在が疑われ、彼女が政府のアドバイザーとして召集されたのだ。現場から発見されたスマホの不鮮明な映像を見て、彼女は二足歩行する巨大生物の存在を示唆する。しかしその“巨大生物”の存在をあくまで疑問視する政府高官やほかの学者たち。

 しかし、首相はノラに科学調査顧問としてドブレ山脈の事件捜査を依頼し、彼女はそれを受けて軍とともに調査を開始、謎の巨大な足跡を見つけ追跡する。いったんは見失ったかに見えたが、山中でついにノラはそのかつてない巨大な存在と遭遇する。

 ノラは科学的にはあり得ないと思いつつも、その存在をどこか確信していた。昔よく聞かされたドブレ山脈に眠る伝説が胸に刻まれていたからだ。

 トロール――彼女がまみえた伝説の存在は、かつて彼女の父が民俗学者という地位を捨ててまで追い求めた存在だった。それとついに遭遇した、いや遭遇してしまった彼女は、トロールの専門家として、そしてそのトロール狂いから関係を断ったはずの父と再び対峙することを決意するのだった。

 

感想 ※やや展開や結末部に触れるのでそのつもりで

 

 開発中の山の中からババーンと一瞬現れるオープニングは現代っぽいスピード感ながらも、その後は姿をはっきりとは見せず、『ゴジラ』の大戸島や『ガメラ大怪獣空中大決戦』の姫神島のような、姿の見えない“脅威”としての描写が続きます。地響きが聞こえ、おびえる老夫婦が地下室に避難した後の家を何かが踏みつぶしていき、その先には巨大な足跡が残される――。

 その何者か――トロールは、伝説の存在であり、巨大な生き物とはどこか違う。どこか精霊のような存在というそれは、日本の怪獣とどことなく親和性というか類似性があるように思われる。怪獣というのは巨大生物というよりは妖怪に近い存在なので、トロールという存在は「怪獣映画」というジャンルと相性がいい。そして、製作者はそれをよく分かっていて、日本の怪獣映画――1954年の『ゴジラ』や平成『ガメラ』の最良の部分を堪能させてくれる。

 なにより、「怪獣」を自明のものとしない、未知の脅威に相対した人物たちを、しっかりと魅せてくれるのがいい。登場人物たちは主人公の古生物学者やその父親の“トロール狂い”の民俗学者、軍人、大統領をはじめとした政府関係者を主にしつつ、脅威にさらされる民間人たちの姿もきっちり寄りで映してくれるのもいい。それぞれの人物たちが独立し、彼らなりの立場がくっきりしているのもいい。この辺の塩梅は平成ガメラに近いものがある。

 また、この映画はそのあたりの人間の描写が絶妙だったりする。なんかやたらと嫌われがちな「親子」の関係性を軸にしつつ(この“親子”というのが後々効いてくる)、怪獣と対決する“人類”、みたいなべたっとした感じではなく、怪獣と対峙する中で、それぞれの人間性が浮き上がってくる感じをしつこくすることなく、最小限度で、しかしきちんと描写してくる。そのうえで、彼らが「怪獣」に試行錯誤しながら挑んでいく。

 それそれの立場や考えがあるので、一丸と「怪獣」に臨むというよりは、それなりにグラデーションがある。そこを露骨な足の引っ張り合いで紛糾するという展開にはさせないハンドリングはなかなか巧い。

 もちろん肝心の「怪獣」の描写も怪獣好きのツボを突いてくるものがある。通常兵器が効きにくいというのも、トロールが精霊的、超常的な存在だからということで理由を担保しているし、だからこそ「伝説」を基にした特撮的なトンチキ作戦にもそれなりにリアリティを持たせている。トロールは教会の鐘の音を嫌がるという伝説から、軍用ヘリに鐘を吊り下げてトロールの周辺を飛び回るとか、そのおかげで近づきすぎて怪獣に掴まれてしまうという、怪獣映画ならではの場面を作ってくるところなど、とてもうれしくなってしまう。

 そして、トロールが精霊的な存在だからこそ、巨大な存在がふと消えたり現れたりする感覚(これもまた怪獣の妖怪的な要素だと思っている)と相性がよく、またトロールならではの要素を生かした初めての出現シーンも印象深く仕上げている。

 個人的に一番グッとくるのは、圧倒的な脅威でしかなかった「怪獣」の存在にしだいにどこか哀しみが浮んでくるところだ。これはかつてのゴジラが持っていた、人によって「怪獣」として生み出されてしまった孤独な存在としての姿だったり、『ガメラ3』で満身創痍で人類のためにギャオス変異体の群れに立ち向かう炎に照らされる怪獣の後ろ姿に重なる。

 というか、個人的に怪獣映画に必要なモノ、それは人間の怪獣なるものへの加害性――“もうしわけなさ”なのではないかと。『キングコング』や『ゴジラ』がかつてそうだったように、「怪獣」は決して神なるものではなく、人間に審判を下すようなものではない。それは、人間によって「怪獣」にされてしまった、それを背負わされてしまった悲しい存在なのだ。

 この映画もまた、伝説の存在が人間によって「怪獣」として生み出され、そしてその孤独な哀しみをたたえている。そして、初代ゴジラキングコングのように、その悲しい存在を人間が「殺してしまった」という罪を刻印する。その決定的な人間の罪を描くという点においても、近年の怪獣映画が失っていた怪獣映画たるものを見せつけてきていて、自分としてはその辺も含めて自分がかつて感動した怪獣映画が戻ってきた感がしてうれしかったところがある。

 とにかく、怪獣映画好きには必見だと思うし、もっと日本の怪獣好きはこの映画をアピールしなくてならないんじゃないのか、という気分なのでネトフリ配信のみとはいえ日本では割と静かなのは不満なところではある。まあ、非英語映画としてはNetflix史上最大のヒット作ではあるので、どうでもいいといえばどうでもいいのだが。