蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

ミシェル・エルベール&ウジェーヌ・ヴィル『禁じられた館』/小林 晋 訳

禁じられた館 (扶桑社BOOKSミステリー)

 

Impression

 日本は一応、翻訳ミステリ大国といっていいほどミステリの翻訳がさかんで、特に古典本格ミステリについては、多くの先人たちが渉猟し、多くの傑作・名作を翻訳してきた。しかし、それでもまだ、黄金期の古典にはその先人たちの探求から逃れた「名作」があるのではないか、そんな思いをもとに古典を渉猟する人々がいる。

 この本の訳者である小林 晋氏もその一人だ。氏は翻訳されていない傑作などないという声に応える形で未訳ミステリのさらなる探求を行い、その中で見つかったのがこの作品。これがまさに、隠れた名作級の本格ミステリだった。

 本作はフランス産のミステリで、フランスミステリというとガストン・ルルゥの『黄色い部屋の謎』やマルセル・F.ラントームの『騙し絵』、そしてなんといってもポール・アルテ*1の本格をはじめ、フレッド・カサック『殺人交差点』、セバスチャン・シャプリゾ『シンデレラの罠』、ピエール・シニアック『ウサギ料理は殺しの味』といった独特の味を持った作品群が思い浮かぶ。

 では、この作品はというと、一読した印象は英米の古典本格にかなり近い味がする作品だった。発表年数は一九三二年。これは、古典本格ミステリの読者にとっては、まさに黄金期のど真ん中な年代で、二九年にはヴァン・ダインが『僧正殺人事件』を、アントニー・バークリーが『毒入りチョコレート事件』を出版、三〇年にはジョン・ディクスン・カーが『夜歩く』でデビューな時代。そもそもの三二年という年はエラリークイーンが『Xの悲劇』『Yの悲劇』『ギリシャ棺の謎』『エジプト十字架の謎』という傑作を四連発した驚異の年なのだ。

 そんな本格ミステリ真っ盛りな時代に出版された本作は、それらの時代の作品にふさわしい直球の本格テイストにあふれている。それではまずあらすじから。

 

あらすじ

 「禁じられた館」と呼ばれることになるその館の不幸は、持ち主の銀行家が詐欺罪で捕まり獄死したことから始まった。その後、屋敷を手に入れた人間に館を去れという手紙が届き、三度それを無視した主人が射殺されるという事件が起きる。その後も屋敷を手に入れた人間には同様に警告文が届き続け、そのたびに買った人々は逃げるようにして屋敷を手放していった。そして、また新たな買い手が屋敷を手に入れる。飲食業で成功を収めたヴァルディナージュ。彼にもまた、これまでと同じように警告文が届くが、富豪は出ていくことはないと宣言する。二通目の警告文が無視され、ついに三通目の殺人予告が届く。そして、雨が降る夜、屋敷を訪れた謎の男が、ヴァルディナージュを射殺。しかし、家人たちが駆けつける中、その人物は煙のように屋敷の中から消えてしまったのだった。捜査陣は、家の中にいた人間たちに容疑の焦点を当て、怪しいと思われた人々を次々に逮捕していくのだが……。

 

感想

 怪奇的な前振りから、不可能犯罪が炸裂し、容疑者が二転三転する中、現れた探偵がついに真相を暴き出す、まさに、埋もれた名作という名にふさわしい作品だった。

 コテコテで定型的なところはあるので、古典本格好きの欲目が入っている面はあるかもだが、それでも館にまつわる不吉な来歴から始まり、謎の訪問客による不可能犯罪、そして次々と明らかになっていく状況証拠とそこから移り変わっていく容疑者たち。舞台はやがて法廷劇へと移り、そこで満を持して現れる探偵の劇的な推理、といった飽きさせない展開が詰まっている。

 なんというか、ぱっと見の印象はカーっぽいのだ。ほとんど同時期に現れた同系統の作品をものした作家がいたというのもびっくりで、本作のシチュエーションは、カーの後年の代表作に似ている。トリックもどことなくカー的なところがありつつ、よりシンプルでミスディレクト込みでのひねりが効いている。トリックだけでなく、容疑者が次々と挙げられていく展開の中で、一人づつ見落とされていた証拠をもとに容疑を晴らしていく推理もまた見どころの一つだ。そして次々と容疑者を消していき、誰もいなくなったところで取り出される真犯人――という構成も巧い。意外性は他にも盛り込まれており、今読んでも驚かされるところは多い。

 古典本格好きは一読の価値がある作品であることは間違いないのでぜひ読んでみて欲しい。そして、すぐにもまた、まだ見ぬ未訳の名作たちに思いをはせることになるだろう。まだまだ、世界のミステリにはあずかり知らない沃野が広がっているかもしれないのだ。

 

*1:小林氏の解説によると、アルテールのほうが、実際の音に近いらしい