あらすじ
イングランド南東部、その海峡沿岸にせり出した平地は、誰が言い出したか、"悪魔のひじ”と言われ、そこに立つ館「緑樹館」には兄弟間で贔屓をする偏屈な当主とその一族が住んでいた。当主の死後、平静になったはずのところへ、ふいに波乱が巻き起こる。前当主による新たな遺言状が見つかったのだ。それは、これまで兄の死により、緑樹館を受け継いでいた弟に変わり兄の息子へ館を相続させるという内容。しかし、アメリカにいてそこで十分成功しているニコラスには、ただただ面倒な事態でしかなかった。遺産を放棄し、叔父のペニントンがこれまで通り緑樹館の当主でいられるよう、事態を収拾すべく館に来訪してきたのもつかの間、ペニントンが何者かに空砲で撃たれるという事件が起きてしまう。叔父が見たという黒い頭巾をかぶり、黒い法衣を着た謎の人物。それは、この屋敷を立てたという判事の霊なのか。そして、その数時間後なんとまたペニントンへの発砲事件が起きる。今度も状況はほぼ同じ。しかし、その前と違い、放たれたのは実包だった。不幸中の幸いで、何とか一命を取りとめるペニントン。一方で、その状況には大きな謎が残った。現場は入り口にも窓にも鍵が掛かっており、密室状況だったのだ。
感想
本作は1998年に新樹社で発行された、翻訳されたものとしては比較的新しいカーの訳本の文庫化になります。作品としてはカー晩年の作で1965年発行。フェル博士のシリーズとしては、最後から三番目のものとなります。
晩年だから、まあ、特にトリックについては最盛期に及ばないといえば及ばないのですが、しかしです、物語はいつものカーの魅力がみなぎっていて、そのパワーは他作品と特に遜色なかったし、面白く読めました。
いわくありげな館に、幽霊譚、意外な再会から始まるロマンス、そして不可能犯罪と、60年代でもカーは変わらず、彼が一番上手い物語を貫き続けます。他の巨匠であるクイーンやクリスティーが大なり小なり変容し、新たな領域に挑戦していったりしたのからすると、その職人気質な頑なさというのもまた、それはそれで別なすごみがあります。作中も60年代でテレビとか出てきたりするんですが(同時期にビートルズが世界を席巻し始めてると思うと別な感慨があります)、それでもゴシックロマンな色調の本格ミステリを展開させる。その精神は、なんというか日本の、主に新本格以降の古典的ミステリ空間を優先する姿勢に通じるものがあるような気がしますね。
トリックについては、まあまあ、トリックのためにもって回った感があるんですが、それゆえ奇妙な事件の状況が、トリックとつながっているところは、いかにも本格ミステリという感じで好きですね。とはいえ、発想自体はシンプルで、解決シーンも分かりやすいです。ちょっと推理はキレが足りない気はしますが。
まあとにかく、カーらしく展開がスピーディに移り変わる物語の中で、密室とロマンスに怪奇を添えた、好きな人には好きでたまらない職人の味が楽しめる佳作でした。カーが好きなら読んで損はないはず。翻訳もイイです。