蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

1月1日ということにしておいてください。

 元旦はアニメウマ娘の一期・二期の一挙を観てなんか終わった。とりあえずウマ娘は面白いので問題はない。二期の研ぎ澄まされたプロットはもちろん素晴らしいが、一期のポップな楽しさも良いし、なによりやはり事実を基にしつつもアニメ的、物語的な楽しさを優先することが結局は大事なんだと思う。あと、擬人化による事実ではかなわなかった思わぬ関係性やドラマこそが“ウマ娘”のキモだと自分は考えている(というか、こういう事実を基にした二次創作的な物語の)。そういう意味で、オグリの漫画のほうは少し「史実」とやらに忠実すぎて二次創作的な物語の面白みに欠けている気がして、その辺最初に比べてもの足りないなあ、と個人的に思っているが、まあ、めちゃ人気だしな。そんな気にするのは私くらいかもしれない。でも、「史実」とやらに忠実というのはスパイス以上の意味はあんまないと思うんだよね。もちろんそれは大切な土台ではあるけど、それをそのままウマ娘でやるだけなら、あんまり「語りなおす」意味はないなあと。

 まあ、こんなことをグダグダ言ってもしょうがないが。

 

 閑話休題(この言葉、使ってみたかったんだよね)

 ブログ始めて新年を迎えると、誰に向かっているのかよくわからない独り言めいた「今年もよろしく~」みたいなことを書かなきゃいけないような圧を毎年感じてしまって、なんかめんどくさいなあ、という気分になることが多く、今年はもういいんじゃないの、みたいな感じでアニメ観てたわけなのだが、『伊藤計劃記録』をめくって(集中力ないときとか、ブログ書く気力がないときはよく読み返す)2008年01‐01のエントリーを読んでいると、やはりなんか書いたほうがいいような気がして、こうしていまさらな「ことよろ」記事を書いている。

 去年も社会的にはロクなことが起きないし、権力者に踏みつけられながらもニタニタし合うことも板についてきたような気配は、いよいよ濃くなるような気はするし、「あたらしい戦前」という戦後世代からの最後の警告もニヤニヤしながらやり過ごすんだろうし、その先にあるものに対して特に期待はしていない。

 それでもまあ、ここまで来れたことはすごいんだろう。あのエントリーの文章を読んでから十年ほど、私も人類も2023年にたどり着いた。かつて生きた人が書いた言葉を読みながら、去年、彼岸へ渡った人たちを少し思う。自分に言葉や想像力を与えてくれた人たちが通り過ぎていくスピードは少しずつ加速していく。それでも、また新しいそれらは生み出され、新しい出会いを生んでいく。

 そうしながら、さらに先へ、たどり着けるところまでたどり着けたら、それはやっぱりすごいんだろう。

 それでは、あけましておめでとう。今年もよろしく。

 もう二日だけど、一日の記事だということにしておいてください。