蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

本を置き、町を歩く。

 休みを取ったので本でも読もうかと思ったが、部屋の中が寒すぎるので午前中、散歩に出てみることにした。

 外をぶらぶら歩くなんてのはけっこう久しぶりで、通いなれた町のメインストリートを避け、ふらりと裏道に進み、そのまま歩いてきょろきょろしていた。

 外は日向に出るとじわりと温かく、日陰に入ればすっと温度が下がる。その塩梅がちょうどよく、時々冷たい風が吹くがそれも厳しいほどではない。

 しかし、ほんとに自分は住んでる町のことをよく知らないというか、見たことないところばっかりだなあ、という気分がすごかった。そのぶん、ちょっと歩いただけで、知らないものばかりが目に入ってなんか年甲斐もなくワクワクした気分になった。

 よく見れば家もそれぞれが全部違うし、公園も意外と小さなのがたくさんある。子供たちはもうお休みに入っているらしく、けっこう遊具で元気に遊んでいた。幼稚園に近づくと、元気な子供の声がそこからあふれていて、なんだかそれも悪くなかった(保育士さんたちは大変だろうが)。

 洋風の新しい感じの家や赤、黄色、青とカラフルな外装の家が並んでいたり、一方では時代がついた古風なたたずまいの家もある。古さもそれぞれで、このくすみ具合はなかなかいいな、と思いながら見て回る。玄関先におじいさんが椅子出して座っていて、軒先には大根の干し物がぶら下がっている光景とか、思わず二度見した。映画でアメリカの定年退職者が玄関前のカウチに座って庭を眺めている日本版的な光景だろうか。廃屋なんかもちょくちょくあり、人が暮らす家の間にひょっこり顔を出す朽ち果てた建物は独特の味わいがあり、なかなか興奮してしまう。ブルーシートで覆われた造成地なんかもあって、これからまた家が生まれるんだなあという、なんだか家の生き物めいた誕生と終焉みたいなものが感じられたりもした。

 植物に注目してもなかなか面白く、かんきつ類(おそらくボンタン?)が鈴なりで庭から果実がはみ出してる家や蔓類が絡みつく家、ちょっとした畑に生えている野菜なんかも、住宅街の中でありながらもちょくちょく多様な植物の存在を感じられてなかなか悪くない(しかし、結構みんな庭の手入れをしている……私のところと違って)。

 いつの間にか道を下っていたと思ったら上っていて、少し開けたところに出たと思ったら、崖の上から市内の繁華街や駅のところまで見通せるなかなか眺望がいいところに出た。その崖の端っこの家がまた少し変わっていて、いろんな植物の鉢植えが庭先や玄関のところまでおいてあり、ペットボトル製の風車がカラカラ回っている。その崖ぎりぎりに立つちょっと古めの家は、漫画なんかに出てきそうな雰囲気があって、ここが今回の散歩のハイライトといったところだろう。

 なんだかんだで現実の風景も見ているだけで面白い、そんな思いを新たにして、帰り路にうどんを食べ、家に戻った。あと、コンビニで記帳した。預金通帳の金額を見て、これが自分の命綱の太さか……みたいな気分で急に現実に引き戻されるオチはちょっと嫌だったがまあ、おおむねいい感じの散歩だった。

 そういえば、最近読んだ漫画にpanpanyaという作家の『足摺り水族館』という本がある。著者の本は書店の漫画コーナーで見かけて以前から気になってはいたのだが、ようやく読み始めた次第。著者の漫画は、どこか茫洋とした、まどろみめいた画面の中をおかっぱの少女が外を出歩き、不思議な光景に出会う。つげ義春の「ねじ式」に連なる連作集なのだが、あ、これって散歩漫画なのかな、という気がした。散歩をして、どんどん知らない光景に出会いながら、虚実のあわいのような感覚を楽しむのは何となく似ている。初めて見るそれらは確かに誰かの生活の一部であり、誰かの現実の風景なのだが、自分にとってはどこか現実から遊離したような存在に見える。もしかしたら、おそらく自分がいる「現実」の風景もまた、誰かにとってはそういう風に見えることがあるのかもしれない。そんな虚実の境に存在している瞬間があるかもしれないと考えると、なんだか楽しい。

足摺り水族館

足摺り水族館

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