蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

歪で不格好、しかし異様な熱がこもる怪作:『仮面ライダーBlack Sun』

 妙な作品だ。PVのデモ描写から、ある程度予感はしていたが、それ以上に直截な形で現在の社会的な状況を次から次に放り込んでくる。風刺、というよりはわりとそのままを放り込んできてる感触の方が強い。ドイツの環境活動家を思わせる高校生の人権活動家のスピーチから始まり、在特会のヘイトデモ、そしてそれへのカウンターデモがわりと現実のディテールそのままに出てくる。そして宗教団体っぽい意匠に包まれたゴルゴム党と癒着する総理をはじめとした与党(ていうか、政権与党がゴルゴム党っぽかったな)とか、まあ現実そのまんまである。

 そして、南幸太郎をはじめメインの登場人物たちはかつて60年代的な学生運動のディテールで怪人の人権を獲得するために活動していて、その劇中では72年という設定の渦中と、その後、彼らが敗れ去った現在とをカットバックで物語は進行していく。

 現在の創作物にしてはかなり政治的・社会的なモチーフが盛り込まれているが、まあほとんどよくある事実みたいなものなので、なんでそんなに一部の人間たちが沸騰するのか正直よく分からない。フィクションに政治を持ち込むなとか、いつから決まったのかよく分からない文言を振りかざすのは、はっきり言ってバカとしか言いようがないが、なんかそういう人がこの国には掃いて捨てるほどいて、なかなかどうしようもないことになっている感じはこの作品の反応を見ていてよく分かる。

 それはともかく、この作品は、基本的に差別をテーマにしているが、実のところそれをどうこう語ろうというよりは、それが前提になっている世界で、過去を引きずる者、過去を取り戻したい者、そして過去を捨てたい者たちによる、因縁の清算のために戦うみたいな話であり、その過去にとらわれた元革命結社ゴルゴム怪人たちを中心に、彼らの一種の青春の終わりみたいなものを中心に描いている。

 本作は結局のところ差別と戦うことが中心というわけではないが、怪人に対する差別描写は、ヘイトデモをはじめかなり執拗に描かれている。そもそも、「怪人」という存在が、人々の脅威というよりは圧倒的に弾圧される側、というのは「仮面ライダー」としてはかなり異色だ。まあ、要するにここでの「怪人」とは、この国におけるマイノリティの暗喩というか、ほとんど直喩みたいなものだ。というか、ほとんどメタファーなのではなく、この作品世界の「怪人」たちは政府(政権与党)によって、ホームレスなどの社会的弱者や性的マイノリティを「ベース」にして怪人に作り替えられているので、もうそのままそういう人たちのことなのだ。

 そういうかなりダイレクトすぎる社会描写と、Vシネ的な暴力描写や作劇、そして10話で突如披露されるオリジナル再現バージョンのOPをはじめとした、ツギハギ的に物語にねじ込まれるオリジナルBlack要素が闇鍋状態になっていて、異様な怪作に仕上がっている。個人的にはなかなか好きだが、まあ、一般的にみて整っているとは到底言えず、いろいろな矛盾というか、変なところは散見どころか、変なところしかないような感じだし、胸を張って他人にすすめられるかというと、躊躇してしまう作品ではある。しかし、観る者を圧倒するパワーがたたきつけられていることは確かだし、私はそういう作品は大好きだ。

 もっとアクション頑張ってほしいとか、何度もゴルゴム党にほいほい突入できちゃう展開とか、最後の少女がとどめを刺す場面は演出意図はともかく、もっとそこは何とかならなかったのかとか、言い出したらきりがないが、それでも作品として、芯の通ったものにはなっている。

 個人的に一番好きなのは、新しい世代や時代に特に期待してることもなく、怪人がいなくなれば、次は外国人差別を唱え、新しい世代でまた差別がいつものように続いていく、ある意味この作品を見ている側の現実を突きつけるラストだ。

 そして、人権活動家だった少女はテロリストのようなものになり果ててしまう。というかこの作品、実のところ、仮面ライダー云々というよりも、革命結社ゴルゴムが秘密結社ゴルゴムとして結成される瞬間を描いているような話なんじゃないだろうか。そしてその秘密結社ゴルゴムから、本当の意味での人々の救世主としての世紀王、Black sunが現れるのを待つ話なのかもしれない。半分以上妄想入っているがまあ、そんな希望が生まれるかもしれない以前の、どうしようもない世界を描き切った作品と言えないだろうか(贔屓が過ぎるか?)。