蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

 そういえば最近、『ハケンアニメ』『フェイブルズマン』『アオイホノオ』と立て続けに創作ものというか、創作や創作者にテーマにした映像作品を見ていた。まあ、昔から監督インタビューとかメイキングとか観るのが好きで、小説や映画、アニメを作る人々に興味があった。創作をすることで生きる/生かされていると言う人たちの見ている世界ってどんなものなのか、向こう側の世界にいる人々が何を見ているのか。最近、小説を書く真似事を始めたが、やはり読んだり観たりすることがメインの自分にとって、それはまさしく未知の世界であって、そういう興味でもって創作系の物語を摂取してきたところがある。『まんが道』のような自伝的な作品から作者の分身みたいなキャラが創作に苦しむ『小説の神様』、創作論的な要素をまとった『映画大好きポンポさん』、チームで作る楽しみを描く『映像研には手を出すな』、などいろいろなタイプがあり、なかなかジャンルとして豊富だ。

 いろいろあるが、創作に対してアイデンティティを託すというか、作ることで救われるとか、過剰な創作賛歌というのは実はちょっと苦手だったりする。

 まあそれはともかく、『ハケンアニメ』は創作に込めたものが伝わって欲しい祈り、『フェイブルマン』は創作がはらむ危険性や業ともいえる歪み、そして『アオイホノオ』は創ることへの不安や自己顕示欲、自意識に振り回される姿とおのおの違った切り口があり、どれも面白いものがあった。

 個人的には『アオイホノオ』が以前半分くらい観た時よりも身近に感じたというか、今となっては何とも言えないガイナックスの部分よりも、ホノオ自身の創作者になろうとする自意識に振り回される姿――特に後半部のホノオの気持ちみたいなものは、自分も小説を書いてみてなんとなくわかるような気がした。特に他人の作品で感動したくないとか、俺より面白いものを作るなとか、なんでこんなもの作ってしまったのかとか……とか。まあ、私は学生のホノオモユルよりもずいぶん年を取ってしまったので、そこそこのあきらめとともに文字書きのまねごとをしているだけだが、ホノオと同じくらいの年だったら、「評論もダメ、小説もダメ……俺は……なにをしたらいいんだぁぁぁ!」という感じにはなっていたろうことは想像に難くない。それはともかく、三つの中で一番アマチュア的な部分が強い作品でもあるので、そういう意味でも親近感があったのかもしれない。創作への業とか、アイデンティティと結びついて悲壮な祈りになるとかそういうのは、まあ、よく分からないといえばよく分からないのは確かなので。

 というか、基本的に自分は創作物に対しては生きる糧とか、それで救われたいとかそういう風にはとらえてなくて、なんか他人の考えてるものを覗き込みたいという欲求が強い(小学生の時、一緒に漫画を描き始めながらも結局、個別に書き始めた他人の漫画を覗き見るのが好きだった)。それも自分とは違う異様なモノを見たいみたいな感じで、またそれを自分のために好きなところを食い散らかして、次に行くみたいなところがあるので、そういう意味では、創作によって生きている/生かされている人間というものが見ている光景は、相変わらずわからないままな感じだったりする。だから興味が尽きないのかもしれない。

 そういえば今、短編を書こうとしてなにも書けていない。なにも浮かばないのでまあ、そんなものなのかもしれない。一応、創作的な真似事をやってみて感じたことはひたすらめんどくさいということだけである。そんな本読む・映画を観る時間を削ってまでやらねばならないという理由もないので、趣味的に楽しんで書くというのもなんかできそうにないというか、そういう境地の光景も分からないままになりそうな気がする。自分にとって何かを作るまねごとをして痛感したのは、ほんと苦痛なくらいめんどくさかった、だるかったという気分であり、まあそれはそれでやってみて見えた光景ではあるので、やってみて良かったことではあるが、自分には見えない世界があるのだろうと思うと何とも言えない気分になることもある。まあ、その見えない世界を少しでも垣間見るために、これからもそういう創作・創作者テーマ物を観ていくのだとは思う。