シリーズ第三集。ここまでは旧訳で読んだことがある。第二集が一九一四年発行で、今作は一九二六年と、実に十二年ぶりの作品集ということになる。第一次世界大戦後の作品集というのもなかなか気になるところ。
収録作については、これまで十二作ほどあったのが、八作に数が減っていて、その分、一編一編の分量が増えてゆったりした筆運びになっている。そして、ほとんどが不可能犯罪的なものを取り揃えていて、不可能犯罪好きにはマストな一冊と言えよう。
ただ、「童心」、「知恵」の前二作において神父の相棒としてレギュラーキャラだったフランボウは、この第三集では一度言及されるのみで、全く姿を消してしまっている。そこはなんだか寂しい。
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「ブラウン神父の復活」
「知恵」からまさか十二年たっているとは思わなかった。ミステリファン的には常識なんだとは思うけど、普段から発表年数とか意識しないから、思わず二度見した。え、なに、ホームズがライヘンバッハの滝から落ちて(「最後の事件」:1893)から復活する(「空き家の冒険」:1903)期間よりも長い。この長期のブランクの理由についてはよく分からないが、まさにタイトル通りの「復活」と言っていい。
冒頭から、なんだかメタ的な「ブラウン神父」に対する自己言及のような始まりで、ある意味、シリーズのおさらいみたいなところがある。
舞台は南米で、「機械のあやまち」(こちらはシカゴ)に続く、アメリカ大陸での話。この南米にいた時、ジャーナリストによって北アメリカに「特ダネ」として神父は売り込まれ、神父を扱った連載物語が始められていたというのだ。おまけに神父はキャラクター化みたいなこともされていて、ホームズの「最後の事件」も作中に言及されたりと、ホームズ現象の徹底したパロディで、人を食ったような展開だ。おまけに神父は襲われて「死んで」しまう。
反面、神父に「私をシャーロック・ホームズの二代目に仕立てるのも悪くはないが……」なんてちゃっかり言わせているところは、逆説的に著者がホームズ(ドイル)二代目を自負しているようなところがうかがえて、なかなか図太いなチェスタトン。
事件自体には謎とかが特にあるわけではないのだけど、神格化の拒否みたいなところも含めて、かなりホームズ批評的な話になっている。
「天の矢」
それのために持ち主が相次いで殺されたコプトの杯、三人目の持ち主もまた同じように杯を狙う男の犠牲になってしまうのだが……。
トリック自体は古典的なもの。事件の構造自体もこれまでの短編でたびたび使われてきたもので、このシリーズにおいても目新しさはそこまでない。描写というか、言葉によってある種のミスリードを形成し、作中に挿入されるエピソードを手がかりとして解決に落とす。ある意味かなりオーソドックスな探偵小説的作品といえるかもしれない。
「犬のお告げ」
東屋で大佐が殺されたのだが、彼が殺された時、その東屋の出入り口を通った者はいなかった、という衆人環視な密室が展開されるこれまた有名作。シンプルな発想の転換で密室状況を創り出していて、オリジナリティが高い。後世にも影響を与え、我孫子武丸作品に見事な派生作がある。
犬というものと手がかりをリンクさせる部分も巧みで、また、凶器を処分する印象的で絵になる光景もこの短編の特徴だろう。
「ムーン・クレサントの奇跡」
慈善活動家が部屋から消え、その死体が四分の一フィートほど離れた場所で首吊り死体となって発見される、という魅力的な謎、そしてシンプルだがこれまた後続に色々と影響を与えたトリックが印象的な本作。しかし、それ以上に印象的なのが、後半に神父が繰り出す逆説的な皮肉のつるべ打ち。なかでも人間を見抜いたから殺されたという逆説的な皮肉は、ある意味“探偵”なるものへの皮肉にも聞こえる。何かを決めつけることへの傲慢さに無自覚な人々に、神父の皮肉な切り返しでスパッと終わる幕切れもなかなか。
「金の十字架の呪い」
金の十字架をめぐる呪いめいた事件。
ツタンカーメンやバビロニアや中国のことなど、耳目を集める物事に対しては、メディアは事細かに報じるが、なにげない地域の歴史はほとんど注目を集めず、真偽が疑わしいものに惑わされる、みたいな感じで神父が即興の地域嘘歴史をひっくり返していく場面があるのだが、それこそそれって、本当なの? みたいな感じになっているし、ユダヤ人のくだりは、そのなかったという仕打ちの桁違いの所業が、やがて行われるのは、創作への現実による逆襲というか、ものすごい歴史の皮肉に見える。ただ、“大規模な殺人計画”という正気の世界が、総がかりでその人を助けるのではなく、抹殺してしまおうとする世界――戦争がもう一度顔を出すのではないか、という危惧は的中している。
「翼ある剣」
どうでもいいが『翼ある闇』という麻耶のデビュー作を思い起こさせるタイトル。この作品では、殺人者の署名として翼のある蛇が登場するのと、殺人者の飛翔するようなイメージがタイトルを象徴している。
資産家が死んだあと、遺された三人兄弟に相続権を取り消されてしまった養子が、兄弟たちをつけ狙い始め、二人の兄たちは不自然な死を遂げる。残った末っ子が逆にその養子を返り討ちにした所に神父は遭遇するのだが……。
これまたカーが好きそうな話だし、某代表作に影響を与えたような要素が詰まっていたりする。
有名な方のトリック自体は、そんなことしたら死体ごとひっくり返りそうな気はするが、そういう風に見えた経験と、それによりぎょっとした感覚を共感させることで気にさせないようになっているのかもしれない。あと、足跡がない、という不可能興味が別のトリックの伏線になっているのがなかなか上手い。
「ダーナウェイ家の呪い」
詩のような伝承がある呪いの家系の話。全体的に話がつかみにくい。
犯人がすべてを作り上げていた、みたいな真相はなかなかインパクトはあるし、ノックスの十戒に引っかかる禁じ手トリック(いうほど禁じ手ではないが)をチェスタトン本人はこう使うのか、という興味深さもあった。単にそれを出してきたんじゃなくて、恐らく、「犯人がすべてを作る」というテーゼの下にあると考えれば、それを含めてかなりメタ的な作品なのではないだろうか。
「ギデオン・ワイズの亡霊」
ど頭から説明されたと思った三富豪が一気に殺されるスピード感で掴まれる。炭鉱のロックアウトを断行し、それを労働者側のストライキに見せかけるつもりだった彼ら。一方で、労働者側も三人の指導者が集まり、ロックアウトをストライキに変え、さらにそれを革命まで発展させたがっていた。
三人の資本家たちが殺され、二番目に殺されたギデオン・ワイズの亡霊を見たという男が現れる、それは対立する労働者側の指導者一人だった。やがて彼はワイズの殺害を告白するのだが……。
二段構えの解決とトリックがプロットともがっちりかみ合って、ミステリとしてかなりいい出来になっている。また、資本家と労働組合という、背景となる時代性を取り入れつつ、事件にもその二つの関係性をリンクさせているのも見事。
おわりに
解説で法月綸太郎が述べているように、この第三集では人物の属性や真理というものがトリックと直結する傾向は後退し、どことなく黄金時代の犯人が繰り出すトリックを解き明かす傾向の作品が増えている印象がある。また、どことなくメタ的な要素が色濃くなっているような気も。
とりあえず、本作のベスト3を挙げるとすると「犬のお告げ」「ムーンクレサントの奇跡」「ギデオン・ワイズの亡霊」だろうか。
また、読んだときは印象薄かったが、感想書いてみると「ダーナウェイ家の呪い」が、結構興味深いものに見えてきたりもした。