蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

笹沢左保『空白の起点』感想

有栖川有栖選 必読! Selection2 空白の起点 (徳間文庫)

 

Impression

 有栖川有栖選 必読! Selection2となる本作は著者の第五作(Introdactionには長編第五作というふうに書かれていたが、改めて調べると不明瞭なため削除)に当たる。

 この作品も、Selection1の『招かれざる客』同様、ほの暗い風景がつきまとい、登場人物たちも何かしらの影を背負っている。やはり、個人的には、著者自身が述べているような暗いムードとそこに結び付いたミステリのトリックが、著者と当時の時代が描いた本格の本質のような気がしてくる。

 正直なところ、中盤あたりはちょっと微妙なメロドラマに傾きそうになって、男女の関係とは、みたいなのを書き出してくるのはあまりよくないというか、そういう男とは、女とは、みたいな部分の変遷が早い分、語るとなんか古さが醸しだされて、暗いムードが損なわれるような気がした。ひなびたバーの女主人のくだりは割とよかったので、あくまで主人公がじっと見つめる視線を維持した方がよかったのかもしれない。

 まあ、そこは個人の好みとして、全体的には犯人と探偵がそれぞれで描き出す、孤独な事件の風景はとても印象深いものとなっている。

あらすじ

 保険調査員の新田純一は、その調査からの帰りの急行列車の中で、ぼんやりと一人の若い女性を見ていた。なぜだかわからないが、美しくもどこか神秘的ともいえるような翳が、彼の気を引いたのだ。列車が崖の見えるカーブへと差し掛かる。悲鳴が上がった。それは、新田が見つめていたその女性からだった。人が崖から突き落とされたのだという。その後、東京駅で聴取のため彼女を迎えた鉄道公安官が開口一番、その崖から落ちた人物の名前――小梶美智雄を告げ、彼女――小梶鮎子の父であることが確認される。

 娘が列車の窓から父親の死を見てしまうという悲劇に遭遇しつつ、そこで聞いた小梶美智雄という名前。新田はそれが、自社の被保険者についての要注意リストにあった名前だと気が付く。多額の保険金が掛けられたその受取人は娘の小梶鮎子。保険金詐取の疑いのため、新田は調査を開始するのだが……。

 小梶鮎子に自分と似た翳を感じつつ、惹かれながらも疑いのまなざしを向け続ける新田が、真実を見つめるとき、似たようで異なる男女の、それぞれの「空白の起点」が浮かび上がる。

感想

 メインのトリック自体は有栖川氏も述べているように、どこか確実性に欠けたものであることは確かで、むしろその要素を入れてくるか、というふうに受け止めるべきだろう。犯行の風景がどこか絵的なのも有栖氏のいう〈世にも奇妙な犯罪の風景〉の印象を強くする。そのトリックを支えているのは、やはり犯人の境遇からくる暗い情念のような気がする。その暗い情念によって支えられた紙上のトリックこそが、この作品に刻まれた“本格”の情念なのだという意を強くした次第。

 伏線もなかなかうまく張って合って、“時代”みたいな男たちの視線や態度で伏線を印象づけたり隠していたりするのも巧みだ。

 めっちゃびっくりするとかの意外性はないかもだが、そのじっとりとする暗さと、そこから生まれた本格ミステリに浸ってみるのも悪くない。

 

追記:長編第五作というのはどうも違うようだ。Web上で国会図書館にアクセスしたところ、個々の作品が長編かどうかははっきりしないため、長編第何作と確実なことは言えないが、短編などを含めた作品としては十二作目に当たっている。

以下のサイトによると、長編第十作に当たっている。

http://www7b.biglobe.ne.jp/~tdk_tdk/sasazawa2.html