蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

基本のキだけでここまでできる:アガサ・クリスティー『ねじれた家』

ねじれた家 (クリスティー文庫)

 1949年作

 アガサ・クリスティーのノンシリーズの一作にして、本人が自己ベストに挙げていることでも知られる本作。最近新しい映画も出たなそういえば。

 クリスティーは、ノンシリーズ物にも良作がゴロゴロしているので侮れない。この作品は、クリスティの最良のものかというと、まだ良いのはゴロゴロあるという印象ではあるが、それでも読んで損はない一作であることは間違いない。なにより、著者の技巧の凄味を堪能できる作品でもある。

 凄味とは言ったが、本格の技巧を凝らした凝りに凝った一作というと、そういうわけでもない。この作品はめちゃくちゃシンプルというか、当時としてもすでに手垢のついたネタ一つでできているといってもいい。そしてそれをまともな作品として支えているのはクリスティのミスディレクトの技巧であり、だからこそ凄味があるのだ。

 ミステリにおいて、ミスディレクトというものは、基本中の基本であり、ある意味奥義でもある、と言っていいだろう。そしてクリスティはその天才でもあるのだ。この作品はそんな天才がミスディレクト一本だけで造り上げたミステリであり、手垢がついたネタだろうが、それによって意外性のある作品に仕上げることができる、そんなミスディレクトの達人の矜持を感じることができる一作だ。

 どうでもいいことを思いついてしまったが、クリスティってミステリ界の我妻善逸*1みたいな感じだよな……。さしずめこの作品はその霹靂一閃みたいなやつであると言っていいだろう(だからなんだよ、というイメージだが)。

 ミスディレクトとその派生技であるダブルミーニングでミステリ界の頂点を極めた作家の、シンプルかつストレートな一閃を堪能できる作品。そのストレートさゆえに気がつかれたらそれまでなところはあるかもだが、気がつかれなければたぶんどの先行作よりも鮮烈な驚きを読者に与えると思う。なるべくミステリずれしないうちに読むのがいいかもしれない。

 

 あらすじ

 語り手であるチャールズ・ヘイワードは大戦も終わりになったころにある女性と知り合う。そのソフィア・レオニデスという名の女性と将来を考えるようになったチャールズは、イギリスに帰国後、彼女の家へと赴く。

 アリスタイド・レオニデスを長とする彼女の家は、有名な金持ちの一族で、そしてその長が建てた屋敷は、奇妙にねじ曲がった構造を持ち、人々はそれを「ねじれた家」と呼んでいた。中に住む住人達もレオニデスを筆頭にどこか「ねじれた」関係に囚われた人々。ソフィアとの再会を喜びながらも、なにか居心地の悪さを感じるチャールズ。その嫌な雰囲気がやがて具現化したような殺人が起きる。レオニデスが毒殺されたのだ。疑心暗鬼で加速する家の中の「ねじれ」、それはやがて第二の殺人を招くことになる。

 

以下はネタバレを前提とした感想

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

感想

 奇妙な屋敷にマザーグース、そして殺人についてそれなりの動機を持つ住人達、といういかにもな道具立てをそろえつつ、それを前面に押し出すわけではなく、解説にある通り、およそミステリらしくない展開が続く。どことなく、お互いを伺うような冷めた人々の中で、スキャンダルめいた関係性の暴露や噂のようなものがただよい、靄がかったような展開が続く。しかし、それぞれの人物像がくっきりしていて、そのどこか危うい宙づり感というか、暴発寸前の寸止め感みたいな緊張の書き方で飽きさせないのはさすがという所。そして、なんといっても語り手から見る少女とのやり取りがとてもうまく、肝心なところに手を触れつつも、その探偵志願的な少女のキャラクターによって目をそらされてしまう書きぶりの巧さ。気がつく人は気がつくとは思うのだが、何でもかんでも知りたがり、聴きたがりな少女のキャラクターが、探偵小説にありがちな多くを知ったがゆえに狙われるキャラクターとして読者の目から「犯人」という属性をそらしていく。そのあたりが先行作とはまた違った大胆さを読了後に読者に与えているといっていいだろう。本作は探偵役が犯人を明らかにするのではなく、残された手紙によって真相が明らかになるタイプなのだが、振り返って少女の探偵しぐさが犯人のそれでしかないという風に、伏線としての手掛かりとともに(椅子の上の土とかあからさまだけど好き)読者にフラッシュバックしてきて、なんていうかシャマランの『シックスセンス』的な謎解きの感慨を与えてくる。

 まあ、なんだかんだで有名な先行作のあれと同じく、歪んだ要因が血族の「血」みたいなものであって、子供にその一族の「悪い血」を集約させている点は同じだったり、家庭環境自体が歪んでいるような感じなのに、あの子が一族の悪いところを全部持って行ったみたいな形で、ヒロインと結ばれてENDみたいなのは正直なんだかな、みたいな気はしてしまうが。一族のよどみからの解放と未来への希望、みたいなのは横溝の作品群が上手くやっているような気はする。

 まあしかし、本当にミスディレクトを極めれば、それだけでここまでのミステリを書くことができるのか、という驚きとその卓越した巨匠への畏怖みたいなものがあった。こんなのおいそれとはできない。

*1:漫画『鬼滅の刃』に出てくるキャラクター。キャラクターたちが使う剣技の流派の一つ「雷の呼吸」の使い手だが、その基本技である「霹靂一閃」のみしか使えない。しかし、極限まで高めたそれは他の呼吸の高度な技と同等かそれ以上の文字通りの必殺技である