蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

ディック・フランシス『本命』

本命

 

熱した馬体のにおいと河からたちのぼる冷たい霧が入り混じって私の鼻をついた。

 

 ディック・フランシスの第一作。著者は元障害競馬の騎手で、その経験を生かした詳しい描写と迫真のレースシーンが作品の核となっている。あと、ディック・フランシスと言えば、冒頭から読者を引き込むパンチ力の強い書き出しと言われるが、第一作目は上記で引用したように文学的な色彩が強く、それはそれで引き込まれる書き出しだ。

 冒頭の親友の不可解な落馬事故から、騎手たちの背後にある不正の闇を探り、犯人をあぶりだすという、基本的なプロットはなかなかいいし、犯人の意外性もエンタメの基本に則っている形で悪くない。ただ、中盤の捜査パートからサスペンスパートがなかなか乗り切れず、全体的にはかなり厳しい読書になった。まあ体調とか、文字が小さくびっしりな古本で読んだからとか、そういう要因もちょっとはあるかもしれない。

 自分としてはまず、主人公をはじめとしたキャラクターたちにもう少し特徴やドラマが欲しかったように思う。主人公も親友が死んだからというきっかけはともかく、危険を押しながら真相を探るモチベーションなりドラマなりがもっと欲しかった。親友の子供たちや彼らとのやり取りはかなり精彩を放っていたので、そこにもっと焦点を当てても良かったかもしれない。

 犯人については、誰々が犯人である、という論証よりも、捜査の過程で条件がそろっている一番怪しい人物が犯人じゃないことの論証の方が印象に残った。あと、犯人を大々的に明らかにする前に、前振りみたいにほとんど示唆するような書き方があって、それは結構余計なのではと思った。

 また、今作は主人公が恋するヒロインがあんまり魅力的じゃないというか、もう一人出てくる親友の奥さんとダブルヒロイン気味なのが、構成としても分離してるような気がした。前半部分は親友の奥さんが割と人物的に魅力的に書かれていて、やがて主人公が恋する女性が一緒に捜査したりするようになるのだけど、人物的に前半部の奥さんほどには魅力が薄く感じ、もう一つの役割についてもパンチ不足な印象。あと、主人公と恋のさや当てをする若い騎手にもいまいちライバル感が薄く、最後の最後で主人公と犯人の一人との一騎打ちに加勢してくれるくらいしか見せ場があんまないのもちょっと物足りなかった。

 色々言ってしまったが、冒頭の文学的な趣のある書き出しから始まる謎の本命落馬事故みたいな発端は良いし、最後の命を懸けた騎乗シーンは迫力あるし、頭と最後はとてもいいので、読後感は悪くなかった(中盤以降は正直ツラいが)。