蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

笹沢左保『招かれざる客』感想

 

 

Impression

 かつて「新本格」、という言葉があった。というと、綾辻行人を嚆矢とするムーブメントが真っ先に思い浮かぶかもしれないが、それよりも前にその言葉を冠された作家たちがいた。その一人がこの『招かれざる客』でデビューした笹沢左保であり、彼が同作を引っ提げて登場した1960年はちょうど、社会派ブームの勃興期に当たる。ブームのビッグバンたる清張を中心にして社会派が席巻し始め、より社会描写を鮮明に、かつリアルに盛り込むことが評価軸の筆頭に傾きつつある時代。それに伴って旧時代的な価値観と化しつつあった本格ミステリ(社会的な背景から遊離した名探偵というキャラ、館や孤島、村といったフィールド、密室を中心とした空想的なトリックを強く志向するタイプのエッセンス)を、いかにして「現代」に繫ぎ止めるか、というも活動も反動的に探られていた。

 「現代的」な社会描写のなかで、いかにして本格ミステリは描き得るのか、そんな“新しい本格”に挑戦した(状況的にもせざるを得なかった)作家として、今の時代から見た笹沢左保は位置づけされようとしているのだろう。今回復刊された本作の解説にある有栖川有栖の言葉を借りるのなら、「謎とロマンの結合」。社会派優勢の時代、ロマン的な探偵小説のガジェットとは水と油のような、即物的な社会リアルという土俵で当時の本格ミステリを志向した作家たちは、いかにしてそれを描いたのか。徳間書房の新レーベル、トクマの特選において、「有栖川有栖選 必読!Slection』として復刊された本作を筆頭に、順次復刊されていく予定の笹沢左保による「新本格」を、そういう視点で読んでいこうかなと思っている。

 この作品自体は、結構前に読んでいるのだが、この時代の「本格」については、やはりどうしてもチグハグ感というか、「本格」が本来持ち得る奔放さが「現実」に縛られている印象があったし、アイディアそのものも「現実」的にミニマム化されている気がして、この作品もそんな「偏見」を変えることはなかった。また、その前に読んだ『霧に溶ける』に比べても、トリック含めて諸々そんなに印象に残ったわけではない。ただ、「招かれざる客」というタイトルの含意はよく覚えていて、今回再読してみると、そこに込められた意味とともに、その社会的な要素をトリックに変換し、その仄暗いトリックこそが物語を、またこの作品のミステリとしての核を、今なお輝かせているのではないか、そんな読後感を覚えつつ、本を閉じることができた。

 

あらすじ

 東京大手町にある中央官庁の一つ商産省。その組合は、世間の労働争議とは縁のない看板だけの労働組合のはずだったが、土地の払い下げ問題の突発とともに省側との対立を深め、強固な態度を崩さない組合側に、ついに省側は組合幹部に対し、〈違法の実力行使を計画した〉として処分通告を行う。組合側は色めき立つが、その処分通告の席上で、組合側の実力行使を計画した極秘文書が流出していることが判明する。

 組合側にスパイがいることが判明し、更なる混沌の中、裏切り者として事務官の鶴飼範夫とその交際相手である組合臨時秘書官細川マミ子が特定されるが、ほどなくして鶴飼が何者かによって殺害。そして、彼の子を身ごもっていた細川を狙ったと思しき誤認殺人と、事件が立て続けに起こる。

 捜査陣は鶴飼を組合側に紹介し、彼に裏切られた形となった亀田克之助を容疑者として逮捕寸前まで行くが、その直前で亀田は事故死。被疑者死亡により、事件はあっけなく幕を閉じたかに見えた。

 しかし、亀田犯人説に異議を唱えていた倉田警部補は、亀田死亡後に取っていた病気療養中に偶然目にした雑誌の写真から、真犯人の端緒をつかむ。単独捜査に乗り出した彼が暴いた真犯人、そこには犯人自体がさいなまれる「招かれざる客」という悲劇が横たわっていた。

 

感想 ※一応、今回ネタバレはしていないで書いたつもり

 60年代花盛りの労働争議を背景に、アリバイ崩しや凶器の消失、暗号、といった本格ミステリのガジェットを盛り込んでいる本作。構成は二部に分かれていて、前半は事件について、発端の労働争議から亀田死亡までを報告書形式でやや淡々とした読み味で進んでいく。第三者的に事件を記述することを徹底した問題編という形式は、著者のデビュー作に込めた本格ミステリ的な意識の表れと見るべきか。

 後半は亀田犯人説に疑義を呈していた倉田警部補の視点から、個人的に事件を再捜査していくパートとなっている。妹に買った雑誌の写真というまったくの偶然から手繰り寄せた真犯人への確信と、同時にその真犯人を守っているアリバイや凶器の謎といった壁が立ちふさがるという目的をはっきりさせる構成がまず見事だ。そして、それを捜査によって一つずつ突き崩していく過程が面白い。正直、凶器消失トリックやアリバイトリック自体は古びているし、意外性があるわけじゃない。犯人も前半部分から察しがつくくらい特に隠しているわけではないが、その真犯人へにじり寄っていく過程は今でも面白いものがある。

 時代の経過によって、著者が取りそろえた「本格ミステリ」の典型的なトリックは今となっては古びた感がある一方で、この作品の独自性として今なお光るのが、「招かれざる客」という言葉が意味する犯人の境遇と因果、そしてそれによって不可抗力気味に発生したトリックであり、真犯人の不幸が最大の防壁となる皮肉と悲劇性だ。「ロマン」には程遠いが、この物語と結びついたトリックの暗いインパクトこそが、この作品に刻まれた社会性と本格ミステリの融合だと思う。

 過去の作品ということもあり、今から見ると女性に対する言動に古さを感じる部分はあるかもしれないが、あくまで登場人物の一部の言動として当時の価値観を切り取ったものとして描かれてはいる。その過去的な価値観があるトリックの下地として機能したりしていて、著者の視線はこの作品ではあくまでドライな感じだと思う。まあ、引っ掛かりが絶無というわけではないだろうけど、それも含めて今との距離感を測るうえでも、過去の作品を読む意味はあるはずだ。