蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

身辺雑記

 ツイッターに書き込んでないし、書き込む気もなんかあんまり起きないので、ブログに適当な近況を書くことにする。

 ちょい前になるが、初めて郵便局のATMで硬貨を預ける経験をした。小学生くらいから使っているプラスチックのケロッピーの貯金箱が満杯になり、その三分の二くらいが百円と五百円硬貨だったのでそれだけ預けてきた。

 なんか預けている途中で強制的にカバーが閉まって、二回に分けてしまった。結局、一万千五百円分の硬貨を預けて四百四十円の手数料を取られた。四百四十円払ってお金を預かってもらったというわけで、なんともいえない気もするが、硬貨をやたら持っていても持ち腐れな感じだし、なによりATMを使うたびに溜まっていた、なんかあの中に硬貨入れたい欲が満たされたので良かったということにしたい。しかし、なかなかお金、貯まんないね。

 それから、ようやく自前のSwitchを買った。有機ELDのやつ。昔ブレワイのソフトだけ買って他人のSwitchでやらせてもらったが、すぐやめたので、その続きをやろうかと思いつつ、ポケモンの方をやりそう。ポケモンはバイオレットを買った。ポケモンやるのはダイヤモンド以来なのでは。てか、ゲーム自体ほとんどやらなくなっているので、自分のSwitchを買うこと自体に疑問がないわけじゃない。そもそも高えーし、四万円で本が何冊買えるんだ? みたいな気もずっとしている。小学生の時ほどなにがなんでもゲームな欲求や関心はほとんどないし、大学時代みたいに徹ゲーするほどの気力も時間もない。数年を待たずに埃をかぶっている予感がしなくもない。結局「“娯楽の最先端”を享受することがまだできる」という自意識のために金を払ったのかもしれない……高くつく自意識である(こういうことしてるからお金が貯まんないのだ)。

 あと、『すずめの戸締り』は初日に観に行った。そのうち感想記事を書くかもしれないが、一応、大雑把な感想だとこれまでで一番、作家の体臭(乱歩風に言えば)が消えてておさまりがいい反面、テーマとの兼ね合いもあってかエンタメ性とか作家独自の勢いみたいなのは直近の二作に譲るかなあ、という感じ。後ろ戸を閉めていくところは、もちろん演出的に飽きさせないようにはしていたけど、週一のアニメのパターンを圧縮してるようなところがどうしてもあり、個人的には若干退屈なところがあった。

 また、作家がテーマに折り合いをつけることが目的化してる部分があって、そしてその、ある意味常識的なところに収まるところを見守るみたいな鑑賞になってしまったことは否めない。それからなんか、映画に入り込むよりも「当事者ではない」という薄い壁みたいなものも感じてしまって、結構引いた形で観てしまい、まあ、できたらもう一回観に行って色々また考えたいところ。あと、映画の内容的に前作、前前作で“怒らせた人”を鎮める映画みたいだな……みたいな気もちょっとした。そこまでせんでもいいのに。

 まあ、色々あるが、一番はやはり娯楽映画という顔で招き入れたと思ったら、お前らあれを憶えてるか! みたいな感じでストレートな過去の現実をぶつけてきたことにびっくりしたのかもしれない。画面の主人公たちは扉を閉めてまわっているが、実質的にはこの映画は観る者の「扉」を突然開くということをしてきていて、そして折り合いのつけ方はこう! みたいな指南をして扉を閉めていったみたいな感じである。確かに娯楽映画であそこまでやるのはすごいとは思うが、それって娯楽映画でやる領域を踏み越えてないか? みたいな気もしたのも事実だった。いくら製作者が覚悟を決めてても(決めざるを得ないにせよ)見ず知らずの観客は覚悟を決めてきてるわけではないので、そこまでするのか? みたいな戸惑いがあった。まあ、それもまた二回目観れば変化する可能性はあると思うが。

 そんなことを鑑賞後にモヤモヤ考えてはいたが、その後観た『アフリカン・カンフー・ナチス』でなんかどうでもよくなった。この映画の真剣にやっているしょーもなさもまた、娯楽がもたらす「救い」なのかもしれない……(そうか?)。まあ、とにかく、ゲラゲラ笑わせてもらった。最高(とは言い過ぎだが)のクソ映画。