蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

泡坂妻夫『煙の殺意』

 泡坂妻夫の短編集を一つ選べと言われれば、基本選びきれないのではあるが、泡坂妻夫を知らない人に一冊勧めたいとしたら、そのミステリの魅力が凝縮したこれをまずはお勧めしたい。どれも高品質な短編で泡坂妻夫の短編と言えば、と挙がる短編も多い。というわけで、おすすめついでに再読しての感想を書いてみようと思う。

 ネタバレを避けて書いたはずだが、まっさらな気持ちで読みたい人はすぐ買って読んでほしい。

 泡坂妻夫は、チェスタートン譲りの逆説的なロジックが支配する事件を描くのが真骨頂で、この作品でもそれはいかんなく発揮されている。そのための下地作りというか、そういうロジックで世界が支配されていることを担保するため、ヘンな登場人物に加え、どこかとぼけた出来事などで奇妙な論理が支配する独特の作品空間を創り出している。再読は、稀代の奇術師が奇術を仕込む手つきを改めて見ていくようで、そこも読みどころというか、面白かった。

 

煙の殺意 (創元推理文庫)

 

「赤の追想

 男女二人の会話から始まるこの短編は、その女性の失恋話に裏にある物語――相手の男性の心理を彼女の話の端々から読み解いていく話だ。

 泡坂妻夫と言えば、男女間の抒情的な機微を描きつつ、そこに秘められたものを読み解くことでにじむ謎解きを得意とした側面があり、この作品はその方向性の見事な作品の一つである。

 泡坂妻夫と言えば「逆説」といわれるが、どちらかというと、心理をロジック化するというか、法則化された心理によって奇妙な状況が現れる一作だ。

「椛山訪雪図」

泡坂妻夫のベスト短編を選ぶなら必ず入るその1。それどころか、ミステリ短編のオールタイムベストでも入る。

 実は個人的にはここで展開されるトリックの系統が苦手なこともあって、あまりその良さが分からないのではあるが、確かにその鮮やかな反転は、刺さる人にはかなり刺さるのだと思う。

 今回、再読してみて、あらかじめネタを知りつつ情景を想像することで、その反転の鮮やかさをこれまでよりは感じ入ることができたと思う。そして、序盤からその光景に向けてエピソードを入念に仕込んでいることも分かった。やはり、ミステリは再読することで染み入ってくることもあるなと。そんなふうに思ったりした。

 また、核となるトリックを含めた顛末が、この事件を語る人物の人生ともリンクしていて、人の生き方に粋に着地するところも人気の秘密だろう。

「紳士の園」

泡坂妻夫のベストを選ぶなら必ず入るその2。それどころか、ミステリ短編の――以下略。

 一日の糧を見つけにとりあえず公園に行くという導入からなんか奇妙な空気が漂う。公園に繰り出した主人公はそこで、鶴を捕まえてスワン鍋を決め込もうとする知り合いに会い、ご相伴にあずかる。その後、死体を見つけてしまうが……。

 序盤からどことなく、奇妙な雰囲気で包まれ、主人公たちが遭遇した公園にまつわる奇妙な出来事が、逆説的な理論を経てタイトルに回収されていく。その果てに真相のジャンプ具合がスケール感抜群で、手がかりによって収束していくミステリが真相によって爆発(拡散)する、こういうこともできるのだという驚きが初読み時あった。ミステリを読む楽しさと驚きが詰まった一編。

「閏の花嫁」

 二人の女性による書簡形式で語られるミステリ。ネタそのものは、海外をはじめ類例がたくさんあるやつなのだが、架空の王国とそこに王妃として迎えられた女性という設定によって、意外な形で成立させている。この作品もこまかな伏線がそこかしこに張られていて、最後の言葉はある種のフィニッシングストローク――最後の一撃となっている。

「煙の殺意」

 この作品も泡坂短編のオールタイムベスト級である。

 事件の中継テレビを見るのが何より好きで、テレビに映るデパート火災を見たい望月捜査官だったが、殺人を出頭してきた男の証言を確認するためアパートの一室に向かわなくてはならなくなる……という事件の発端からして、よくそんな刑事キャラ思いつくなというところからさらに、デパート火災の中継を事件の被害者宅でも見続ける望月と死体にしか興味がない斧技官という妙なコンビによる不思議な雰囲気の醸成が見事。

 この作品は、超有名な先行短編のオマージュともいえる作品だが、すごいのは、凡百の模倣作と違って、原点のロジックを逆転させてある点にある。原点すらもひっくり返して見せる、それこそ後進の意地というか、ある種のオマージュの理想ともいえるのではないか。

「狐の面」

 この作品は泡坂妻夫の十八番ともいえる、奇術知識を織り込んだ一編。鉱山町に訪れた山伏一団の祈祷を一風変わった来歴を持つ寺の僧侶が奇術と喝破しながら、ついには事件を未然に防いでしまう。ほんの些細な手掛かりから事件の予兆を見出し、奇術的な手法ですべてを収める僧侶の手腕が見事。田舎町を舞台に奇術に彩られた楽しい一編である。

「歯と胴」

 この短編集の中では、異色と言っていい。これまでのユーモアというか、少し不思議な作品世界づくりは影を潜め、不倫から端を発した殺人とその死体処理は陰惨を極め、関係者たちが法医学教室ということもあり、死臭が充満するような作品となっている。ミステリとしては、特に何かあるというわけではないのだが、完璧と思われた死体の隠ぺいが思わぬところから瓦解しそうになる、その死体からの告発ともとれる「歯と胴」というタイトル回収が見事。

「開橋式次第」

 この作品もどこかとぼけた冒頭ながらも、15年を経て繰り返されるバラバラ殺人という割と凄惨な事件が描かれる。ミステリのネタ的には先行する著者のシリーズ探偵、亜愛一郎作品にあったやつの変奏っぽいが、やはり犯人の奇妙な心理を成立させるための描写の散りばめ具合が巧み。