蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

マイケルさん

 ハロウィンの夜に観に行きました。『ハロウィン Kills』、自分を含めて五人くらい観てたかな。

 ジョンカー・ペンターによる傑作から早40年余り。シリーズも今作で12作にのぼり、かなり息の長いシリーズとなっているわけですが、2018年にデヴィッド・ゴードン・グリーンによる第一作の続編という形でリブートされ、そして今回の『ハロウィン Kills』は、同監督によるその直後から始まる物語となっています。

 『ハロウィン』におけるブギーマンことマイケル・マイヤーズ、彼はスラッシャー系――いわゆる殺人鬼ホラーの草分け的存在なわけですが、彼の特徴的な造形以上に、そのホラーの画期的さというのは、結局何だったのかと考えると、帰ってくる存在、そして勝手に入ってくる存在、ということになるような気がします。大体において、ハロウィン以降も含めてホラーは明らかにやばい場所に不用意に踏み込む、被害者側が禁を侵すようなパターンがメインでした。キャンプ場をはじめ、悪霊が取り付く山荘、殺人鬼が住む家、呪われた家や館、病院……枚挙にいとまがありませんが、そういう呪われた場所に踏み込んだが故の、ある意味当然の結果としてのホラーでした。

 しかし、ハロウィンのマイケルは、恐怖の存在が精神病院を抜け出して故郷に帰ってくる。そういう、向こうからやってくるパターンでした。そして、被害者たちは特に何をしたわけでもなく、彼に殺されていきます。しかも、勝手に家に入ってくるのです。これは怖い。プライベートを侵される恐怖。そして、何もしていないのに殺されるという不条理。その忍び寄ってくる死は、ある意味、あのポーの「赤死病の仮面」に近い恐怖があると思います。舞踏のなか現れる死のように、ハロウィンという祝祭のなか現れる死というのもどこか似ていますし、あの赤死病の仮面が殺人鬼となったのが『ハロウィン』とするなら、意外と古典的なポーの直系といえる存在なのかもしれません。

 まあ、とにかく、前回のローリーとその家族による決死の罠もマイケルを殺さずには至らず、燃え上がる家に消火活動に来た消防隊員たちを皆殺しにしたマイケルは、そのままハロウィンの町に帰ってくるわけですが、マイケルさんは何というか相変わらず職人然として殺人を続けていきます。もうほんとに淡々と魚さばくみたいにスタスタやっていきます。しかし、今回は町の人たちも黙ってはいません。カーペンターの第一作にてマイケルに遭遇して生き延びた人々を中心に自警団を結成し、町民対マイケルの様相を帯びていきます。そして、マイケル・マイヤーズという存在は、それ自体が恐怖そのものへと化して人々を脅かしていきます。恐慌にかられた人々は、マイケルの脱走騒ぎに乗じて精神病院を脱走し、病院に逃げ込んだ患者をマイケルだと追い詰め、死に追いやってしまいます。

 殺人鬼と、その恐怖への怒りで我を忘れる人々。なんというか、人間の“怖さ”みたいなものを描きながら、終盤はマイケルさんを追い詰める群衆たち。フィクショナルな怪物よりも人間のほうが「怖い」といういかにもな展開なのかと思いきや、たかだか一人くらいしか殺せない人間のヒステリックな怒りなどなんのその。奪われた仮面をかぶり直し、殺戮を開始するマイケルさんは、ホラー界のレジェンドとして、人間に恐怖をもたらす存在であると高らかに宣言するようです。怖いのは人間? いや、やはり得体のしれない怪物なのだ、そんな製作者の意思が垣間見えるようで、それも含めてそれなりに楽しめる一作。ゴア描写も前作よりパワーアップしてますし、なにより、やはり人の家というか、マイケル・マイヤーズが家にいる、ということはこんなに怖いことなのか、ということを存分に味わえたと思いますね。

 ヤバイ身内が帰ってきたり、人ん家に勝手に入ってくるっていうのは、そもそもマイケルさんじゃなくてもフツーに怖いものではありますが。まあ、そういうフツーの怖さに直結しているがゆえに、マイケル・マイヤーズという恐怖はそうそう色あせない恐怖なんじゃないかと。そんなことを思ったりしたのでした。

 

 

 やはり傑作の第一作が好きですね。子供の時のお祭りとかで、ふと夜店のわき道に見える暗がりに何とも言えない恐怖感を味わったりしましたが、なんとなくそういう、明るい喧騒の中でわれに返るように垣間見てしまう不安ななにか、というのがこのシリーズの原点のなかにある様な気もします。