蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

怪奇とトリックが横溢する怪人賛歌:根本尚『怪奇探偵 写楽炎』

 探偵小説、そんな言葉聞いて何を思い浮かべるでしょうか。怪奇色にあふれた血みどろの惨劇、異様な姿の怪人、大胆不敵なトリック、そしてそれらに敢然と立ち向かう名探偵。なんというか、江戸川乱歩的な風景を思い浮かべる人ならばぜひ読むべき漫画があります。それがこの怪奇探偵 写楽炎シリーズです。このシリーズは、その怪奇に彩られた乱歩的な下地に、この世界ならではのトリックとロジックが組み込まれた見事な本格ミステリであり、乱歩な世界観で本格探偵ものが堪能したい向きにはこたえられない魅力を放っています。そういうのが好きならば、是非是非と強くお勧めしたい。

 なにせ、犯人たちはみな、オンリーワンの異形に身を包み、“怪人”として女子高生探偵写楽炎とその助手カラテ君こと山崎陽介の前に現れるのです。一つ目ピエロだの蛇男だの蝋太郎……ets。実に面妖なメンツが目白押しで、常に彼らは名探偵に挑戦状を突きつけ、犯行予告を行い、凝り凝りのトリックを自慢するように披露する。効率? 労力? だからなんだ。そういう「常識」で突っこんで、いかに自分だけが認識する「現実」とやらに近いかを査定し、採点する「読み」というモノサシ――それが取りこぼす別種の楽しさや面白さ。ここにあるのは、そういう現代本格云々に矯正されることのない、かつてあった名探偵物語の輝きなのです。

  変な気炎を上げてしまいましたが(まあ、私はそれでも「リアリティ」を毛嫌いしてるわけじゃなくてそうあるべきみたいな思い込みが嫌なんだ)、とにかく奇怪な事件とそれにふさわしいトリック満載で、そして何よりも全編を支配している恐ろしいトーン。

 実は、恐怖が支配していることが、この作品の大きな特徴でもあります。犯人たちは二つほどの例外を除き、かなり残忍で人間について物のような認識で殺人を行う。というか、犯人以外の人間たちもどこか人を人と思っていないような雰囲気があり、割とあっさり人殺しをしそうなのです。実際、あっさりと人を殺す側に回ったりします。主人公たちが普通のほのぼのとしたキャラであるぶん、その周りの異様さが際立つのです。

 同情や共感みたいなもののよりどころになるような人間というものが、ほとんど存在しない。そういう世界観が作り出す恐怖感というものが、全編に漂い、なんというかいつ殺されてもおかしくない「怖さ」が横溢しているのです。そのじっとりとした世界の恐怖もまた、このシリーズの魅力の一つではないかと思いますね。また、そのぶん、主人公の写楽炎の可愛さみたいなのが際立っています。殺伐とした世界によって輝く彼女のキャラもなかなか魅力です。反面、カラテ君もとい山崎君はモブですが……。あと、刑事たちも躊躇なく銃を撃ちます。レギュラーの刑事はモーゼル社製みたいな拳銃を使ってます。多分犯人撃ち殺しても処分とか特にない。

 

  現在、シリーズは三冊にまとめられ、それぞれ電子書籍で販売されています。それでは、それぞれについて、詳しく話していこうかと。※ネタバレなしで頑張ります。

  こちらには、表題作の『蛇人間』のほか、最初の事件である『一つ目ピエロ』以下『血吸い村』『踊る亡者』の四作を収録。

 まず、『一つ目ピエロ』ですが、この作品というか、漫画ならではの絵による伏線が随所にあり、また、この作品世界特有の恐怖感が、あの時違う行動をとっていたら……という形で現れ、そこがゾッとするところです。

『血吸い村』

 隠れキリシタンと吸血鬼伝説に彩られた村で起こる殺人事件。カラテ君の空手部に入部してくれた新入部員が殺され、炎たちは彼の家族を狙う怪人吸血鬼に関わることになるのだが……。

 吸血鬼事件にふさわしい血塗られた殺人道具とトリック。なかなか面白いトリックが使われていて、それをこの舞台装置の中で生かす逆算の発想で設定などが作られていった感じがしますね。

『踊る亡者』

 ヒトデの生態調査に向かった写楽炎とカラテ君。海岸から見える崖は有名な自殺スポットであり、彼らはそのスポットのおぞましい真実を知ることになる……。

 トリックは特にないのですが、やはり絵をうまく使った伏線とロジック、そしてなんといってもおぞましい怪人とそのおぞましい発想が光る好短編。中核の発想は忘れがたいインパクトを残し、その“亡者”たちの光景も怪奇探偵シリーズらしさ爆発でなかなかです。

『蛇人間』

 異様な怪人蛇人間が蛇にとり憑かれた一族を襲う。第一巻の掉尾を飾るこの作品は、シリーズにおける村ミステリの集大成みたいなものがあって、怪しい伝説を中心に組み立てられたプロット、トリックが見事です。気がつく人は気がつくでしょうが、ああいうトリックの発想は大好物です。

  この二巻には、一巻とはまた毛色の違った作品が収められていて、表題作の『妖姫の国』の他『クイズマスター』『蠍の暗号』『歪んだ顔』『影絵』の5作品が収録。この巻はまあ、比較的犯人の造形がマイルドです。あくまで比較的ですが。

『妖姫の国』

 写楽炎がアリスの不思議の国に拉致される、という奇妙な出来事から始まる怪盗との知恵比べ。これはなかなか巧い。個人的にはこの作品が一番好きかも。犯人の労力はものすごいですが、その二十面相的な所も好きですね。衆人環視の中のダイヤの消失とその解明から浮かび上がる驚きのからくり。意外性のあるいい切れ味です。ヒントとしてのある不思議な描写も良いですね。

 犯人の造形も凝っていて、その犯人像も印象に残ると思います。また、この事件から事件についての追補が付くときがあり、この作品では犯人の生い立ちが語られますが、後の作品でもこの追補が色々と面白い使われ方をして、より作品を引き立たせていきます。

『クイズマスター』

 「クイズは戦いなんだよ!」――三問間違えれば死が待つクイズ。回避するには先に三問正解するしかない。クイズマスターを名乗る謎の怪人に囚われた写楽炎は、その死のゲームに強制的に参加させられる。はたして炎はクイズマスターのクイズに打ち勝てるのか。

 ええと、犯人はヤバい人ですね。頭おかしいです。犯人当て的な要素もありますが、ロジックは控えめというか根拠が弱い気もします(それこそクイズっぽいのでこの一編らしいと言えばらしいのかもしれない)。とはいえ、メインはあくまで死のクイズによるサスペンス。あとなんかちょっとエロチックですよね。まあ、炎さんは結構な頻度で囚われてヒドイ目にあうのですが、その辺、昔のパルプな囚われの美女感があるような。

『蠍の暗号』

 次は暗号もの。仲間に裏切られた盗賊団のリーダーが、現金輸送車を襲った際に隠した金を示す暗号。天体観測中に写楽炎は、その襲われたボスから暗号文を受け取るのだが……。

 直接的なヒントもですが、シチュエーションもさりげなく伏線になっていて、分かる人にはあからさますぎるのかもしれないけど、その全篇がヒントとして構成されている感じはとても巧いと思います。そして、強盗団のリーダーから最終的に受け取るもの――そこに奇妙な魅力を感じる写楽炎。探偵と怪人が紙一重であることをかすかに匂わせる印象深いラストです。

『歪んだ顔』

 かつてATM強盗のためにシャベルカーが盗まれた際、頭を潰された建築会社の社員がいた。犯人はその後、盗んだシャベルカーで犯行を成功させ、行方をくらます。警察が後を追ったが、逮捕は叶わず十五年の時効が成立して大手をふるって生活していた。しかも宝くじまで当てた大金持ちとなって。そんな犯人の老人に、かつて殺した社員の“歪んだ顔”が迫る。

 全体構図がなかなか巧いというか、犯人についてのある種のずらしが効いています。また、犯人による犯行計画のわずかなズレが、不可能犯罪を生み出す事件の形もなかなか。あと、ラストはかなり怖い。このシリーズならではの恐怖感ですね。

『骸絵』

 過去、墓場から少女を掘り出し、それが朽ちてゆくさまを様態ごとに描く――現代の九相図事件と呼ばれた事件の画家――生血多賢が描いたとされるその「骸絵」を巡り、謎の怪人“骸絵師”の影が探偵写楽炎に忍び寄る。

  今回の事件は、骸絵の変化というか、絵の真の姿を見せてやる、という骸絵師の予告通りに、一枚の少女の絵が刻々と朽ちてゆく少し変わった謎がメインですね。衆人環視のなか、絵を見守るのは、予告も含めて怪盗物的な趣があります。しかし、このそこまで事件性がなさそうだった事件は、犯人の真の意図が明らかになるとおぞましい顔を見せるのです。それこそ骸絵のように。

  第三集には、表題作の『蝋太郎』他、『幽霊の刃』『死人塔』『冥婚鬼』『怪人X』と個性豊かなラインナップが待っています。結構おぞましい話が多い(いやまあ、だいたいそうなんだけど)。ゾッとするホラー感が増しています。

『蝋太郎』

 かつて資産家を襲って金を奪った男たち。資産家の金で起業した彼らを一人一人と殺し、蝋人形にしてゆく怪人蝋太郎。死んだはずの資産家の怨念か、その関係者の復讐か。はたまたなんの関係もない者の仕業か。蝋で満たされた密室シェルターの謎を、写楽炎は迎え撃つ。

 蝋を生かしたトリックが光る一編。メインの密室の発想に気がつく人は多いでしょうが、完全に打ち破るには少し知識が必要。まあ、ある程度想像で打ち破れるかもしれません。もう一つの事件は組み合わせの妙が光る。あと、山崎陽介ことカラテ君が今回事件にさりげなく組み込まれている点もなかなかポイント高いです。色々とテクニカルな一編という感じ。しかし、この事件も陰惨な顛末を迎えるなあ。

『幽霊の刃』

 怪人幽霊男が会社社長を追いかけている場面に出くわす写楽炎とカラテ君。社長は彼らの前で踏切を越え、列車にひかれて即死する。しかし、何故か幽霊男は今度は炎たちに襲い掛かってくる。多数の目撃者の中、何故、幽霊男は二人を襲うのか。

 この事件は特に陰惨な事件ですね。謎解きはストレートですが、犯人の最後のセリフで、ん? となった後に追補的な形で描かれるものがとにかくヤバイ。ザ・猟奇なかなり後味悪い事件です。ミステリ的には、指紋の扱いがトリックとうまく結びついていて、それが犯人への推理につながるのが巧い。

『死人塔』

 仮面専門の怪盗、スパイダーが写楽炎の学校に現れた。音楽室にあった珍しいアフリカの仮面を盗んだスパイダーは、次にとある彫刻家が持つ喜怒哀楽の四つの般若面を狙う。しかし、そこには知り合った彫刻家に半ば強制的に招かれた写楽炎が。彼らに追いかけられ、彫刻家宅近くにそびえる木造の塔――通称死者の塔に追いつめられる怪盗。しかし、スパイダーは塔から忽然と姿を消してしまう……。

 すごい力業なトリックが光る。というか、犯人凄すぎる。かなり思い切ったトリックですが、そのための状況設定などをきちんと手掛かりを織り込みつつ作り上げています。怪盗スパイダーの正体についてもなかなか面白い。あと、ぎょっとしつつもスルーされる要素*1がなかなか面白い試みだと思いました。

『冥婚鬼』

 死んだ未婚の人間を結婚させる――それを生業とする鬼。自らをそう自称する冥婚鬼に写楽炎はさらわれ、とあるベストセラー作家の死体に娶せられそうになる。生者は殺し、死体を括って夫婦となる――間一髪で救出された炎は、冥婚鬼なる怪人の真意を探り始める。

 今作の犯人は、これまでとは違ってエキセントリックさは控えめ(いやまあ、やってることはかなり異様なのだが)。動機も結構俗っぽい。見どころは、炎の犯人特定ロジックで、地味ですが言われてみればな伏線とその描写。事件自体は結構カチッとした印象です。

 しかし、この作品は追補によって恐怖が倍加するというかというか、そこからが本番。その見開きの恐ろしさにぞっとします。

『怪人X』

 夏祭りに来た写楽炎とカラテ君。祭りを楽しむはずが、刑事が現れ、彼によると怪人Xなる人物から祭りの中に死体を隠したとする犯行声明が届けられたという。炎はその場所としてお化け屋敷に目をつけ、刑事とともに中を慎重に探ってゆく。そしてやはりそこで死体を発見するのだが……。

 この事件、いままでの形とは少し違った“怪人”の関わり方という感じですね。見つかった死体は何故ミロのビーナスのような形で塗りこめられていたのか、という謎はなかなか面白いです。あとまた、漫画らしい伏線の描写も。

 この作品は少し変わった“怪人”についてのアプローチ*2が面白いです。怪人Xって、一応由来はあるけど『幽霊の刃』の幽霊男くらい微妙な姿だと思っていたら……。

 

 以上、“怪人”を愛する人は是非是非読んでください。一応個人的な好みを挙げると、

『妖姫の国』『蝋太郎』『冥婚鬼』『蛇人間』『怪人X』あたりがベスト5でしょうか。あと『踊る亡者』もなんか好きかも。

*1:ネタバレ要素に少々抵触するので読んでから見てください:ここに登場する16歳の女子高生妻と年の離れた彫刻家に何かあるのでは……? という形で注意を引き付けるミスディレクト的な要素。

*2:ネタバレじゃないけど一応伏字で:怪人が別の怪人にバージョンアップする。