蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

寂しさが冷たく発火する:島田荘司『火刑都市』

改訂完全版 火刑都市 (講談社文庫)

 島田荘司作品の中にあって、かなり地味な地位にあると思われる本作。著者の二枚看板である御手洗シリーズや吉敷シリーズではないノンシリーズものではあるが、主人公は吉敷シリーズでたびたび出てくる中村吉造が務めている。

 この小説は島田荘司の社会派的な側面と都市評論的な側面が色濃く出た作品だ。そして、大まかにはそれに準じた二部構成になっていて、消えた女性の足取りを地道に追う前半部と、東京という都市にまつわる放火犯の後半部。それらが混じり合うというよりは、東京という都市の上に載せられていることで、まとめられている印象はするものの、二人の男女の奇妙な関係性――決して融和することはないが、離れることもできない姿と二重写しになっている。

 事件を追ってゆく中村刑事は、次第に東京という都市の姿を、そしてそこに住もうとしながらも馴染めなかった者たちの姿を見つめてゆくことになる。

  島田荘司による社会派作品ということだが、確かにごく普通の刑事が足で地道に捜査していく要素を軸にしつつも、著者らしいスケール感のある事件の膨らませ方や不可能興味などが盛り込まれていて、著者らしい魅力が滲んだ作品になっている。

 

あらすじ

 東京都内で起きた放火事件。雑居ビルの焼け跡からは、若いガードマンの焼死体が発見された。発火当時、詰め所で何故か寝入っていたガードマンは睡眠薬を服用した形跡があり、しかし普段から飲んでいる様子はなかったという。なにか不審なにおいのする死。事件を担当することになった中村は、ガードマン――土屋の生活の中に痕跡を念入りに消した女性の存在をかぎつける。

 人付き合いのない土屋の生活の中に婚約者として入りこんでいた女性は何者なのか。彼女の行方を追う中村。彼女の名前を突き止め、寒風吹きすさぶ越後の地にまでその姿を辿ることに成功したのもつかの間、そこで彼女――渡辺由紀子への糸は途絶えてしまう。

 由紀子を見失う一方で、東京では土屋の死から続く放火事件が頻発していた。その放火の現場は奇怪な状況で発生し、「東亰」という不可解な文字が書かれた張り紙が残される。そして、ついには犯人による犯行声明が。

 土屋の事件から始まる由紀子の失踪、そして連続放火事件をつなぎ、真相が明らかになる時、浮かび上がるのは奇妙で孤独な男女の姿。そして、彼らがみる東京という都市は中村に何を語るのか。

 

感想 ※この先は少しネタバレを示唆する部分があるのでそのつもりで。

 

 

 島田荘司は都市というものに執着していることをたびたび語ってきていた。そして、本作はその都市への思い――特に東京へのそれが物語として結実した代表作といっていい。

 この物語の前半部は社会派のフォーマットに則り、失踪した女性を追う刑事の足による地道な捜査が描かれる。そして彼女の故郷である越後の寒村に行きつくことで、社会派としての本作は一つのピークを迎える。

 しかし、この小説の島田荘司らしさ、その島田荘司流の社会派の真価はそこで失踪した渡辺由紀子の行方が途絶えてから始まる。放火事件が次々と起こり、そこに不可能興味が浮上していくとともに、本作もう一人の主人公ともいえる男の姿が浮かび上がる。同時に東亰という過去に束の間存在した東京のもう一つの言葉と水の都市としての側面。社会派的な前半部からギアチェンジする後半部は島田荘司ならではの演出が光る。

 東京についての憧憬ともいえる都市論が語られるとともに、放火犯の犯行声明により、放火が文字通り東京に対する「火刑」であったことが明らかになる。このある意味犯人の思想が色濃く出た作品は島田荘司作品の中にあって、異質な光芒を放っているように思う。

 実利的な動機を持つ女とどこか抽象的な動機で動く男。この二人の人物が二つのプロットを駆動し、中村刑事を動かす。しかし、それらは止揚するというより、東京という都市の器によってかろうじて盛り付けられている。そして、それらは彼らがつながり合うことはなくとも、なんだかんだ離れられない奇妙な関係性に陥っているのと重なり合い、構成が人間関係の二重写しとなっている。ある意味絶妙なバランスといえるかもしれない。

 島田荘司の作品はどちらかというと人情的な犯罪動機に収束していくタイプがおおく、この作品もどちらかというと女性の悲哀みたいな部分に収斂していくのだが、それでも放火犯の東京を火刑するという都市への、そしてそこに住む人間に対する怨嗟の叫びが発火するような犯行声明に私は魅せられる部分があった。まあ、単純に対世界みたいな中二感が好きという個人的な嗜好が入ってはいるのだけれど。

 犯人たちはどちらも東京出身ではなく、東京に来たもののそこからはじき出されてしまった人間だ。そして、それを追う中村吉造は東京に生まれた生粋の東京の人間である。中村には、彼らの疎外感は分からない。はじかれてしまったからこそ、男はかつてあったかもしれない水の都「東亰」に憧れを抱く。しかし、生粋の東京人中村はそんなものが今現れたとしても、やはり外堀は埋め立てられ、木は切られ、マンションが建つだろうと、どこか諦めにも似た思いを抱いている。

 女もまた東京が怖いと言い放つ。しかし、そんな中で初めて優しくされた、手を差し伸べてくれた人間が土屋だった。そのはずなのに、彼女は結局彼を好きにはなれなかった。誰にもうかがい知ることのできない彼女の孤独な空白を、やはり中村はどこか諦めたように眺めることしかできない。

 この作品は、大都市の中にあってどこにもつながることができない人間の寂しさ、そんな人間の今いる都市の、そして夢想する都市の寂しさ。どこまで行っても寂しいトーンで貫かれた物語であり、そして、著者の中村に託した東京に対する諦念にも似た視線を感じられる作品でもあるように思えるのだ。

 東京を火刑する炎、それはどこまでも寂しい冷たさをたたえている。