蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

島田荘司:御手洗シリーズ作品紹介 その1

 一応、今のところ御手洗潔シリーズは、ほぼほぼ全部読んでると思うので、その登場作品を出来る限りというか、根気が続く限り刊行順で紹介していこうかと。まあ、マニアながっつり批評みたいなのはムリなので、軽いファンの思い出話まじりの紹介文です。……まあ、島田荘司 おススメ、みたいな感じで検索すればより分かりやすい記事がゴロゴロ出てくるんで、完全な自己満です。気が向いたら、という感じでぽつぽつ更新していけたらな、と(正直これで終わる可能性もかなり高いですが)。ではとりあえず、その1として初期の四作をば。

 まず記念すべき第一作にしてデビュー作である『占星術殺人事件』から。

占星術殺人事件 改訂完全版 (講談社文庫)
 

  この本が刊行された1981年(自分が生まれる前ですね)はあの横溝正史が没した年でもあり、本格派の巨匠の後を受け継ぐようにして、その後の本格を牽引してゆく著者が現れたことはなかなかドラマチックな符合です。そして、これ以上ないほどそれにふさわしい作品なのです。

 六人の娘からそれぞれ切り取られた人体のパーツによって究極のアゾートを作り上げる――狂気の怪人、梅沢平吉の手記から始まるその異様な物語は、実際にその通りに平吉の娘たちが殺され、それぞれの部位が奪われた状態で発見されてゆく。しかし、当の平吉は事件発生前に密室内で殺害され、アゾートの行方、そして犯人の正体はようとして知れないまま、究極の謎として四十年の月日が経った。その謎に一週間という期限付きで挑むことになったのが、当時占星術師として横浜の馬車道に事務所を構えていた御手洗潔であり、この作品の語り手である石岡和美。ここに、日本を代表する名探偵&助手コンビの一つが誕生した。

 二度も読者への挑戦状が挟み込まれ、最初に刊行されたノベルス版では袋とじだった(私は残念ながら所持しておりませんが)という究極の謎は、それにふさわしいトリックが用いられ、名探偵が巨大なトリックを解き明かすというこの物語は、当時退潮気味だった本格の、ふたたびミステリというジャンルにおける一大潮流として復活する、その大きな原動力となります。正確には、この作品によって影響を受けた若い読者たちが、呼応するようにして名探偵という一時棄却されそうになった存在(都築道夫の名探偵復活論とかありますが)や、それらに付随していた要素を復活させる大きな流れを、島田荘司とともに生み出してゆくのです。

 この作品は手記――物語内の物語という要素が一つの特徴をなしていて、この要素はこれからの島田荘司作品の長編における重要なモチーフというか、作品構成であり、物語の語り方となります。そのような物語の入れ子構造は、島田作品において基礎となる形であり、以降この形をあの手この手で変奏してゆくこととなります。島田荘司作品において、語り手以外の誰かが書いた物語、という要素はこれから大きな要素を占めてゆくので、そこも注目しておくといいかもしれません。

 まあ、とにかくすごいトリックですよね。そして、そのトリックを占星術に絡めて、アゾートという演出に仕立て上げるその手腕。名探偵御手洗潔の素晴らしい名探偵キャラクターぶりと、このころはまだまだ元気な石岡和美との掛け合いも楽しい。そして、強固な謎と40年という時間に閉じ込められた犯人――トリックが生み出した孤独に収束する見事さ。本格ミステリの歴史に残る傑作のひとつです。

 ただ読むに際してよく問題と言われるのは、冒頭がかなり長い手記であり、御手洗潔も「電話帳を読まされたみたいだ」と述べるほど。だいたいそこを乗り切るのが大変と言われますが、奇妙な想念に囚われたい男の異様な手記、そういうものとして読んでみれば、45ページほどはそう辛くはないかと……まあ、そこは人によるでしょうが。私は結構好きなのです。他人が書いた妙な情熱の怪文書ってやつは。

 

改訂完全版 斜め屋敷の犯罪 (講談社文庫)
 

  第二作の『斜め屋敷の犯罪』、これもまたそのトリックと後続に与えた影響の大きさでは、第一作と引けを取りません。斜めに傾いだ建築物――本格ミステリにおける“館”という存在が住居空間というよりは極端な舞台装置の存在として、ある種のキャラクターのような存在感を持つにいたる、その大きな流れへの決起となったといってもいいかもしれません(個人的には黒死館が大元の源流なのではないかと思っています)。そして、トリックのための建築物というかなりラディカルな、しかし本格らしい詩想設計による「館」の誕生(ここもまあ、甲賀三郎の先例を考えると「完成」と言った方がいいかもしれませんが)。以降、日本の「館」は奇妙な独自発展を加速してゆくこととなります。

 この作品、島田荘司作品としては割と異例な感じで、物語の入れ子構造というものがなく、物語構成はかなりストレートに進んでいきます。お話自体も、ストレートな雪の山荘ものという感じで進み、御手洗潔も最後の解決篇にデウスエクスマキナ然として現れ、謎を解いて幕。最後の犯人とのやり取りは、結構好きな人は多いかもしれませんね(俺もあんなセリフ言ってみたいぜ……いや、嘘です、言われる側になりたいです)。ストレートにして雄大なトリックと、それを支える細かい設定や条件が堅実に構築された、従来型の構成を取ったザ・本格という感じで、ここから入ってみるのもいいかもしれませんね。出番は少ないですが、御手洗&石岡コンビのドタバタや、御手洗の奇矯な行動とその真意が明らかになる犯人逮捕シーンも注目です。

 

御手洗潔の挨拶 (講談社文庫)

御手洗潔の挨拶 (講談社文庫)

 

 『御手洗潔の挨拶』。御手洗シリーズの初短編集となります。二作目以降、御手洗シリーズはかなり期間が開くこととなります。その間細々と書き溜められた短編がこの短編集にまとめられるまで、実に五年の歳月が流れています。まあ、そのことについて詳しいことは『異邦の騎士』のところで後述します。

 この短編集には、4つの短編が収められており、そのクオリティや謎のバラエティー、物語の構成を考えると一番スッキリとした入門テキストとなっているように思うので、ここから入るのもテかもしれませんね。どれも面白く、個性豊かな短編たちが取り揃えてあります。それでは、それぞれについて軽く触れていきますね。

「疾走する死者」

 島田荘司らしい強烈な謎が印象的な一編。アパートの一室から消えた被害者――その死の状況は、電車に轢かれるために全力疾走したとしか思えない形であった。強烈な不可能興味、そしてそれを解き明かすアクの強い名探偵御手洗潔、という島田作品の基礎要素がぎゅっと詰まった短編。そして、細かい出来事や思惑の積み重ねが摩訶不思議な状況を生み出す島田荘司お得意の組み立てが堪能できます。ちなみにこの話の語り手は石岡ではなく、後に『嘘でもいいから殺人事件』『嘘でもいいから誘拐事件』の主役兼語り手となる隈能美堂巧。

「数字錠」

 タイトルの数字錠の部分については、御手洗潔の説明を聴いてるそばからえ? という疑問が浮かびますが、そこはまあ、なんだか自信満々な御手洗に流されておきましょう。メインはそこではなく、一人の少年の人生のお話。ファンの人気が高いのはミステリ部分ではなく、その少年の境遇と、東京タワーから御手洗が指さすそんな無数の孤独たちの哀切さによる。島田荘司の小説部分が堪能できる一作でしょう。

紫電改研究保存会」

 御手洗潔、というか島田荘司のミステリの故郷の一つがホームズにあることが如実に伺える一編。確かホームズ譚は一行目でタイトルが分かるくらい読みこんだという話がありましたね。一言でいえばあの有名作のパロデイみたいな作品という感じでしょうか。

ギリシャの犬」

 この作品もホームズ譚的な語り口がワクワクさせる冒頭。そして、タコ焼き屋台の盗難というヘンな事件と、その現場に落ちていた暗号文のような紙切れ、そして誘拐事件。なんだか分からないうちに事態が大きくなっていくさまが、加速するように展開され、奇妙な発端から大捕物のアクション劇につながる構成はまさにホームズ的な楽しさといっていいでしょう。あと、奇妙な形で意図しない「暗号」が成立するアイディアが良いですね。

異邦の騎士 改訂完全版

異邦の騎士 改訂完全版

 

  御手洗シリーズ長編第三作ですが、著者が初めて書いた小説『良子の思いで』に改稿・修正を加えたもの。それが『異邦の騎士』です。実は、御手洗シリーズは長編第二作の「斜め屋敷」から第三作のこの作品まで、六年の歳月*1があります。著者によると、御手洗潔という探偵が出版社から求められなかったということらしいですが、まあ、やはり当時の流行と御手洗シリーズには齟齬があり、それを受け入れる若年層の存在をもう少し待たねばならなかったということでしょう。そして、御手洗潔のシリーズとしての本格的な活躍は、この作品から二年後の一九九〇年以降となります。

 また、この作品については、初めに読むよりは、御手洗シリーズのどれか一つ、出来れば初めの方を読んでからをおススメします。まあ、結局は刊行順に読むのが一番いいとは思いますね。

 記憶を失った男。そこに現れた女性と彼女にまつわる奇妙な出来事、そして男がある手記を紐解くとき、事件は取り返しのつかない場所へと加速してゆく。知り合ったその男を助けるため、御手洗潔は鉄の馬を駆る。そして、男は……みたいな話。島田荘司の抒情性が詰まった青春小説としても読める、これまた素晴らしい傑作となっています。

 記憶を失った男視点の巻き込まれ型サスペンスで、物語としての完成度はたぶんトップクラスであり、この作品が一番好きと挙げる人も少なくないと思います。それまでの長編二作とはまた違った形のミステリが展開されていて、著者のミステリの力量とその物語作家としての実力がいかんなく発揮された作品です。

*1:この間、『御手洗潔の挨拶』を含む長短編合わせて実に二十一冊が刊行されています。