蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

さがら総『恋と呪いとセカイを滅ぼす怪獣の話』

恋と呪いとセカイを滅ぼす怪獣の話 (MF文庫J)

 

 久々にラノベを買ったら、著者の不手際で回収されてしまった。

mfbunkoj.jp

割とネタバレ的なことも書いていくのでそのつもりで。

 星堕ち島――その島には特別な子供たちが集められていた。十数年前に落ちた星の影響で「呪われた」異能者となった彼ら。隔離されつつもどこか平凡で平和な日々が流れる島だったが、外部から来た新たなメンバーにより、それは次第に変質していく……。

 リンク先のお知らせを読み終えた後に読んだら、該当箇所は作中でなんか印象的に残った部分だった。『階段島』の文章だったのは忘れていたが。

 そんな感じで『階段島』からかなり影響を受けているのは確かだが、テーマ的なものをはじめ、内容自体はそんなに似てないし、印象も結構違う。

 まず、文体が違うというか『階段島』はなんか村上春樹を意識したような文体みたいな気がしたが、本作はずっとフランク……というよりは、パロディもとに寄り掛かり気味のガチャガチャした文体で、じゃっかん苦手な感じではあったが、視点が切り替わってからの意外性や後半のシリアスな展開など、めちゃくちゃ刺さるというわけではなかったにせよ、独自性を持っていたと思う。

 『階段島』がインナースペースっぽい話だったのに対し、本作は能力を持つ隔離された子供たちのそれぞれの「世界の見方」が違ったままで融和するというか、たとえ違っても手は取りあえるし、そばには居られるよ、みたいな形に収斂する。

 人の見方はそれぞれ、みたいな方向性は文化相対主義! と言われそうだが、それぞれの見方を、世界を保ったまま人々がつながりあうというのは、まあ、昨今の「世界」が目指していた方向なのだろうとも思う(文化相対主義が席巻していたということも含めて)。ただ、そういった「世界の見方」が今現在の方向性からはじゃっかん陰りを見せ始めているようにも感じる。世界を破壊するような力もまた、その力を持つ個人が見ている世界に過ぎない、という方向性は面白くはあるが。

 大きな者、力を持った者が見ている「世界」にそれ以外の人間が巻き込まれる世界が展開され始めている。それはいつだってそうなのだけど、それが再び顕著になっている、というのが自分としての肌感覚としてある。その、私たちを巻き込もうとする人間たちが展開する「世界」にいかにして対抗することができるのか、それがより重要性を増しているような気がするのだ。

 それはともかく、キャラは立っているし、それによって視点を切り替えた時にそれぞれの人物の裏面が思い切り際立ってくるつくりは悪くない。群像劇ということなのだが、正直なところ、メインのように表紙を飾っている人物たちは意外と脇なポジションで、生徒会長と転校生が話としてはメインどころな感じ。その辺は期待させるポイントがちょっと違うような気もしたが。まあ、なんだかんだで恋愛的なものと世界が直結しているお話なので、なんやかんやあったけど人物たちが恋愛的に収まってわちゃわちゃしてエンド、みたいなのが好きな人は好きだと思う。

 個人的には、自己の「才能」を見切ったうえで、他人の才能で自己実現しようとするキャラクターのほうをもっと掘り下げるというか、暗躍するそれとの対決構造を群像劇が収斂することで鮮明にしてくれたほうが作品としてより興味深いものになったような気はする。あくまで個人的な嗜好だが。