蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

架神恭介『仁義なきキリスト教史』

仁義なきキリスト教史 (ちくま文庫)

 「おやっさんおやっさん、なんでワシを見捨てたんじゃ〜!」

 ユダヤ組の中に突如現れた一人の侠客――イエスの断末魔であった。このキリストを名乗ったやくざ者の死が、これより始まる世界的任侠団体、キリスト組の血みどろの闘争――その歴史の始まりであった。

 ……そんなわけで、キリスト教をやくざ的に解釈した小説、それが本書である。イエスの死から、残されたペテロら使途の活動、異端児パウロによる伝道、ローマ帝国との関係、叙任権闘争に十字軍、そしてルターの宗教改革といったキリスト教における重大トピックをざっと取り上げて、広島弁をしゃべちらかすやくざ物語に、大胆にも仕立て上げたものだ。信徒はすべてやくざであり、教会は事務所であり、聖職者はプロフェッショナルやくざである。

 本家の信徒が読もうものなら、怒ること必至な脚色だが、著者はきちんと資料を読み込み、それらのテキストに則ったうえで、物語上の面白さを取る選択や演出をしている(実際には顔を合わせたのは使者同士だが、本人同士がその場に対面したことにしてあったりなどはある)。後ろの方に充実した参考文献が記載されているので、著者が述べているように、キリスト教の理解をより深めるためのゲートウェイとして本書を読んでいくといいだろう。実際、キリスト処刑への大まかな流れやローマ帝国の中で一大宗教になっていく過程や叙任権の問題などをおおつかみに把握するにはちょうどいいと思われる。

 やくざに見立てることで、宗教の闘争というよりも、人間自体の卑俗な部分による“どうしようもなさ”が浮き上がり、より身近な形で読み易く、なによりすこぶる面白い。なんというか、ヒヤヒヤしつつも爆笑な部分がたくさんある。

 あくまで、導入、とっかかりには最適な奇書。キリスト教ってぼんやりとしかわかんないな~でもちゃんと楽しめる。深く理解できる、というのとはまた違うだろうが、二千年にもわたる一大宗教の存在がより近く感じられ、なにかしらの興味を持つはずだ。

 ボーナスについている「出エジプト記」もまた、冒頭から脱獄した六十万のやくざたちを追うエジプト警察という表現で笑ってしまうが、こちらは、本編ではすでに姿を消していた大親分「ヤハウェ」とモーゼ、そしてなんどもヤハウェを疑い、モーゼを殺さんとするその他の信徒――いや、やくざたちとの内部抗争(という名のヤハウェによる粛清の嵐)が描かれる。下のものから突き上げを食らい、命まで狙われながらも、自分を信じない者の存在に怒るヤハウェを、民族の存亡をかけて文字通り命がけで宥めるモーゼの中間管理職具合がすごい。そしてあまりにも不憫な境遇は涙を誘うが、一方で、何度も不信を向けられ、そのたびに殺戮を繰り返すヤハウェが人間不信に歪んでいく過程もまた、どこか悲しさを帯び、やくざ言葉で熱っぽく描かれた神と人間の愛憎物語として出色の出来である。