最近、イノセンスを結構観かえしている。今観ても圧倒的な画面は当時の最高峰だし、おそらく、今でもそうだろうし、今後、これを超えることができるのか、心もとない気がしないでもない。

ま、それはともかく、本編もすごいのだが、特典の対談、監督の押井守とプロデューサーの鈴木敏夫とのそれが、すこぶる面白い。

というか、鈴木敏夫という人の凄さみたいなものがよく分かる。表現者が何を表現したいかを的確に理解しつつ、それを分かりやすい形で第三者に伝えようとする、彼はそんなプロデューサーの権化みたいな男なのだ。的確な理解力とそれを分かりやすい形に加工するすごさと同時に怖さを彼からひしひしと感じるのだった。まさに映画は語られることによって映画になる。あの押井守が全面的に鈴木敏夫の咀嚼した映画の理解に同意している姿は珍しい。

というか、あの当時あそこまで理解してた人、観た人たちにいたんだろうか。

記憶を外部化するその先――人はかつて自身が名づける以前に存在した身体を外部化するという視点はいまだ鮮烈だ(まあ、あまりSFに明るくないので、僕にとってということかもしれないが)。

人は誰かと共に生きていかなくてはならないが、その横にいるのが人間である必要が必ずしもあるわけでなはい、という視点――今度アニメ化する『BEATLESS』は人の横にいるのは魂のない道具でもいいじゃないか、という話で、どんどん人の魂の輪郭が外部化していく。そう言うのを見ると改めてイノセンスの先見性は光るな、とまあ思った次第です。

しかし、『ブレードランナー2049』が人でないものを主人公にしながらも、古典的な「ピノキオ」を下敷きにし、人形が人間に成る、結局は人間中心主義的な価値観のまわりをぐるぐるしている(まあ、輪郭は曖昧になり始めていたが)なか、十年も前に、人間が人形になる話をここまで徹底して描いていた、というのはやはりすごいな、という気はします。