蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

恐怖に克て:映画『IT』

年を越してようやく観に行きましたよ。というか、ようやく観に行けたというべきか。

本作はスティーブン・キングによる傑作小説の二度目の映像化――その一番初めの映像化であるテレビミニシリーズ版を観たのは小学生の時でした。

父親と何の気はなしにぼんやりとテレビを観ていると始まったのがそれでした。そしてのあの冒頭の排水口から現れるピエロ――薄気味悪さの果ての、その豹変。

めちゃくちゃ怖かった。その後もビルが見るアルバムから血が噴き出すシーンなどの恐怖映像の連続に、父が私を慮ったのか、はたまた自分も怖かったのか、黙ってチャンネルを変え、それっきりITは私の恐怖映画の筆頭となり、いまだに観返すことができない恐怖の記憶として、あのピエロは頭の裏側に張り付いているのでした。特にあのペニーワイズは“顔面力”と言われる顔のインパクトがすさまじく、その顔だけでめちゃくちゃ怖いのです。

だから、ITの二度目の映像化にして初の映画化であるこの作品を観に行くのは二の足を踏んでいたわけですが、ええい、ままよと思い切って観に行ったわけなのでした。

 

あらすじ

メイン州に位置する、どこにでもあるような田舎町デリー。

その日は雨が降っていた。

雨が降りしきるなか、黄色い雨合羽の少年が手作りの舟を追いかけてゆく。

歩道の端を流れる雨水に浮かぶ小さな紙製の舟は、流れの中を勢い良く滑っていく。それを少年――ジョージーは追いかけていた。

兄――ビルがワックスを塗り、作ってくれた舟は出来が良すぎるくらいだった。それはどこまでも滑ってゆき、ジョージーを引き離し、追いつく間もなく、ついには排水口のなかへと吸いこまれて行ってしまった。あっという間だった。

叫び声を上げつつ、滑り込むようにして排水溝に取りつくジョージー。覗き込んだ先には闇。

闇の中から、それは現れた。

妖しい二つの光が、爛々とした二つの目となり、ジョージーを覗き返していた。そして目の前に現れたのは禍々しいピエロ。手には排水溝に呑み込まれたジョージーの舟を持っている。ピエロは自らを「ペニー・ワイズ」と名乗った。

一緒に遊ばないか、ジョージー? ピエロは誘うように舟を差し出す。

一緒に浮かぼう――大切な舟なんだろう?

兄に作ってもらった舟――無くしたら大変だ――手をのばすジョージー

ピエロはむんずとその腕を掴む。がばり、と開いた口はおぞましいほど鋭い歯が並び、ジョージーの腕を噛み千切る。突然のことに絶叫し、腕から血を流しながら這いずって逃げようとするジョージー。背後の排水口からはするすると禍々しい手が伸びてゆく。そして、這いずる少年を掴むと、そのまま排水口のなかへと引きずり込んだ。その暗い暗い、闇の中へ。

町はその年、子どもたちがずいぶんたくさん消えていた。町中に行方不明の子どものポスターが貼られ、その上にまた新しい子どものそれが、人々の記憶を上書きしていく。ジョージーもすでにその上書きされた失踪者たちの層に埋もれつつある。ビルはジョージーの死を受け入れられず、その姿を探すことをあきらめきれないでいた。ジョージーの失踪は、ビルに吃音という形で、いまだ刻まれたままでいる。

そして、夏休みがやってきた。 ビルはリッチィ、スタンリー、エディ、冴えないはみ出し者たちの集まり、ルーザークラブのメンバーでいつものように夏をすごしていたが、そこへ、いつも彼らを標的にする不良たちに絡まれ、追いかけられてきた転校生の少年、ベン、傷ついたベンを介抱するため立ち寄った薬局で出会った、とある“噂”から皆に避けられている少女ベヴァリー、同じようにして不良たちの標的となっていた黒人の少年マイクをメンバーに加えることになる。

やがて彼らは、それぞれが怪物に襲われながらもその手から逃れてきた恐怖体験を持つことに気がつく。転校生ベンは、失踪事件を独自に調べ、町の歴史を調べるうち、「ペニー・ワイズ」という子どもを襲う怪物の存在を突き止め、しだいにルーザーズクラブの面々は、27年ごとに町に現れ、子どもを喰らうIT(鬼)、との対決へと赴くことになる……。

カンソウ

この映画は、恐怖映画でありつつ、非常に良質な青春映画でもあります。恐怖の合間に挟まれる、少年少女の瑞々しい姿、その“青春”の切り取り方がほんと素晴らしい。原作の過去と現在を行ったり来たりする構成ではなく、少年時代のみを描くことでそれが際立った感があります。ラストシーンのビルとベヴァリー(特にビル役のジェイデン・ビーバハ―が)美しすぎる! ああいった人物を美しく撮る力量が、青春映画には不可欠である、と確信した次第です。

とはいえ、この映画、もちろん怖いところは怖いです。特に、最初のジョージーの腕をペニー・ワイズが噛み切るところとか。たぶんそこが一番怖い。排水口を覗いたらそこに誰かが――ピエロがいるってビジュアルイメージはやはり鮮烈です。

ペニーワイズについては、ティム・カリーが演じた90年版の方がインパクトはあるし、やはり怖い。そこはしょうがない。あの顔面のインパクトはそう狙って出せるもんじゃないだろう。それに、あのティム・カリー・ワイズの怖さは、もしかしたらその辺のピエロの格好をした殺人鬼のおじさんなのかもしれない、という部分にあるような気がする。そのもしかしたら人なのかもしれない、というあやふやさが恐怖を醸成しているように思われるのだ。むしろ、恐怖の根源というのはその“あやふやさ”なのではないか。

今回のビル・スカルスガルド演じるペニー・ワイズは造形が洗練されている分、純粋な異形のバケモノ感が加速していく。具体的な化け物となる。そして言ってみれば怖くなくなっていく。だが、それはこの映画の瑕疵ではない。むしろ構造と関わってくるのだ。

ビルはジョージ―、ベヴァリーは父親、マイクは両親の死を、というように少年たちはそれぞれが恐怖を抱えている。ペニー・ワイズはその恐怖の似姿として、彼らの前に現れる。そんなペニー・ワイズに勝つには、その己の中に巣くう恐怖と戦わなくてはならない。そう、この物語は恐怖を克服する物語だ。それぞれが仲間の力を借り、自らの恐怖と向き合い、それを克服する。だから、この映画は恐怖映画でありながら、観終わった後に、映画館の暗がりや帰り道の背後を気にしたりするような恐怖が後を引いたりはあまりしない。観終わった後はどこか爽やかですらある。恐怖が具体的な姿になれば、それを乗り越えることができる。前述したようにこの映画は、恐怖映画でありながら、怖くなくなっていく映画なのだ。

そういう意味で、彼らが大人になった第二章があるとはいえ、ここで終わっても正直構わない。それくらい、物語としてはきちんとしたまとまりをもって終わってましたね。個人的には続きはいらねーんじゃねーかとすら思った次第。

恐怖とは、分からないことに起因している。いや、薄々わかっていながらも目をそらしていることから恐怖は生じるのだ。しかし、一人で恐怖の源を見つめることはできない。――けれど、誰かがその手を握ってくれるなら、その恐怖を見つめることができるかもしれない。少年たちはそうやって恐怖を克服していく。そいういうわけで、ホラーと青春がガッチリと結びついた傑作になっていると感じましたね。

では最後に、個人的に好きなシーンを挙げるとすると、みんなで輪になっての誓いから、ベヴァリー、そしてビルのアップ(ここの風で前髪分けたリーバハ―がすごくいい! あの青春を閉じ込めた一瞬!:強調)、というラストまでのショットを除くと、ペニー・ワイズをボコボコにするところも好きだが、みんなでベヴァリーの家の浴室を掃除するシーンが好きですね。大人には見えない血まみれの浴室を、みんなでせっせときれいにしていく。恐怖を文字通りみんなできれいに拭い去ってゆく。血まみれなのに、どこか朗らかな感じがしてしまう、作中屈指の青春シーンだと思うのですがいかがでしょうか。

――というわけで、この映画を観ることができたわけですが、私は、私自身の幼い日の恐怖である90年版と向き合うことが、果たしてできるのだろうか?

 

いやー、しかし、観たのは元旦(今年の初映画!)だったのですが、ずいぶん放置してようやく今年初めの記事が上げられましたね。なんだか先が思いやられますが、がんばってこー。