まっかな終末

私がクリスマスも終わろうとしていた深夜、何をしていたのだというと映画を観ていた。タイトルは『吸血鬼ゴケミドロ』。

例のごとく観なきゃなあ、と思いながら積んでいた映画の一つ。ようやく観ることができましたよサンタさん。

ゴケミドロの話はシンプルだ。小型旅客機が未確認飛行物体に遭遇し墜落、そこに(何故か)留まる乗客たちに宇宙生物に寄生された客の一人が襲い掛かり、生き残った乗客たちは一人また一人と餌食になっていく……。

映画は開幕早々から不吉な赤い色。その空の色はタランティーノキルビルで引用したことから有名になっているが、そこを飛ぶミニチュアの飛行機はなんだか異様な感興を観る者に与える。すでに世界は変質している、そんな不安を。

 いや、すでに世界は終わっているのだ。あの異様に赤い空でそれはもう表現され尽くしている。あのワンカットだけで実はもうこの世の終わりを描いてしまっているのだ。

墜落シーンの特撮は今見ても悪くないです。56年のエドワード・ドミトリク監督の『山』とかの墜落シーンとかに比べてもまあ、そう遜色はないんじゃないんでしょうか。実物大の飛行機を用意していてなかなかお金かけてるな、なんて思ってましたが、そこに予算を全振りした以外はチープです。舞台にお金をかけた一点豪華主義の潔さ!

しかし、チープなわりに全編に異様な雰囲気が漂っています。特に人間がUFOへと誘蛾灯に惹かれるがごとくふらふらと近づいていくシーン、その合成は上手くいっていないにもかかわらず、非常に印象深い気味の悪さを醸し出しています。人間の額がぱっくり割れ、なかにアメーバ状の生物が入りこんでいくシーンの強烈さも、リアルとは違うしかし拭い難いインパクトをぶちまけています。

特撮のチープさ、それがはからずしも世界の歪みの効果として、観客の不安をあおっていきます。画面を嘘くさくしていることが世界そのものが嘘くさいモノへと変質している、世界が異質なものへとすり替わっているような不安と結びついていて、実は“特撮”は恐怖と相性がいい。それがいつしか“怪獣”の特権のようなものへとなっていったのはエンジンの片方が無くなったようなものなんじゃないだろうか。

まあ、それはさておき、閑話休題

本作の話は密室恐怖劇という感じで閉ざされた場所でバケモノが襲ってくるというシンプルなものなんですが、バケモノの怖さとそのバケモノに襲われた人々はどう反応するのか、という恐怖映画の基本がきっちりしているので面白く観れます。

 マタンゴと並ぶ、恐怖が人間性を抉り出していく過程がねちっこく描かれ、そこが映画をしっかりと支えています。恐怖映画におけるモンスターとは畢竟、それにさらされた人間たちの人間性を抉り出すための触媒であるということを理解している映画こそが面白い映画となりうるのであり、この映画もまた面白い映画なのです。

 世界はいつの間にか終わっている。まっかな空の色がそのことを明らかにするラストシーンは、映画史に残る風景であり、観た人の恐怖の原風景になることは間違いありません。