蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

その瞬間、あなたはそこにいる:映画『ファースト・マン』

 『ボヘミアンラプソディー』の感想を書いたときに、体験する装置としての映画がこれから増えていくだろうということを書いたが、この映画もまた、観る者にその過去の瞬間を体験させる映画である。「ボヘミアン」以上に徹底した体験追及型で、物語性や人物から生じるカタルシスという気持ちよさは排されている。そういうものを期待してもしょうがないので、俺を感動させろみたいな物言いはやめましょう。

 時代は宇宙開発競争真っただ中の1960年代。ソ連がいち早く宇宙に衛星を送り、そして人を送った。一歩も二歩も出遅れたアメリカは、巻き返しを図るべく、月に人を送ることを目指す。アポロ計画と名付けられたそのプロジェクトに船長として選ばれた男、ニール・アームストロング。物語のカメラはひたすらその寡黙な男に寄り添う。

 なんというか、ひたすら寡黙な男に寄り添うドキュメンタリーというか、その当時にタイムスリップしてアームストロングさんに密着取材してます、みたいなカメラなんですよ。わざわざフィルムで、家族のところは16ミリ、NASAのシーンは35ミリで撮ってるらしく、ホームビデオみたいな質感と手振れで、そのままついて行って宇宙船に乗ったり、宇宙に出たりするみたいな感覚。宇宙では65ミリを使うことで、宇宙のクリアな質感が感覚として体感できる仕様。

 フィルムを使い分けることで、家庭と仕事場、そして宇宙その場面を映像感覚としてまた感情を表にあらわさない男の内面を表現しているような感覚を観る者に与える形になっていると思います。

 とはいえ、やりすぎな感じも否めませんが。ほんとに密着というか、アームストロング視点を堅持するため、宇宙船のシーンはひたすら狭い内部から覗き窓の宇宙を見上げるだけ、揺れもめちゃくちゃヒドイ。体験映像としては正しいとは思うのですが、この辺りはぶっちゃけ楽しくはないです。ドッキング訓練のジェミニ計画におけるトラブルも、一秒に船体が一回転以上する状況をひたすら船内からのカメラでアームストロングに寄るため、よく分からんがひたすらぐるぐる回っている感覚しかなくてこれまたきつい。

 アポロ計画に本格的に移行して11号の発射シーンは、さすがに地上からのカメラがあって、そこは素晴らしい映像になっているので必見ではありますが。

 もともと宇宙飛行士は感情を出さないというか、常に平常心で動く人間であることが求められ、中でもアームストロングは筋金入りだったというそうですから、まあ、ほんと表情変わりません。唯一のシーンともいえるのが、冒頭で娘を脳腫瘍で亡くし、葬儀の中自室に入り、カーテンを閉め声を殺して慟哭する場面。この映画は、一応映画であるという建前を成立させるため、その時の悲しみをアームストロングが宇宙に沈める、というある種の鎮魂の映画になっている。

 なので、みんなで計画を成功させ、ロシアに先んじ月を制覇した! 翻る星条旗! という高揚感はない。ロケットなんか打ち上げてる金があるなら福祉を何とかしろ、という人々の姿が映し出されたりするのだが、それに対しての宇宙へ行く人類の夢や情熱がどうたらとか職員たちの決意みたいなものも特にない。

 宇宙はそんな人間たちの思いとかいうものを受け止めるような場所ではなく、ただただすべてを吸い込むようにしてそこにある。そして、その初めて月に降り立つシーンはすごく、体験的なシーンです。宇宙に来てからはテルミンを使った劇伴が延々と鳴っているのですが、ついに月への隔壁を開ける、その瞬間から宇宙に音が吸い込まれるようにして無音になる。その時、リアルにアームストロングと一緒に月に降り立つような感覚を共有しているようになる。

 月に降り立った男。宇宙服のその姿は紫外線フィルターのバイザーを下ろしているため、表情はうかがえない。ただそこに宇宙服を着た人が立っている。誰の声も届かぬその場所で、男は娘を失ってからずっとしまっていた悲しみをそこに沈める。そして観る者はそれを見つめるのみ。これはまあ、そんな映画です。劇的な瞬間は静かに去り、ことさら盛り上げて高揚感を演出する瞬間は訪れない。ただ、その瞬間、彼と同じようにあなたや私はそこにいた。これはそういう映画なのだ。