蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

好きだからこそ闘う:山口つばさ『ブルーピリオド』

 

ブルーピリオド(1) (アフタヌーンコミックス)

ブルーピリオド(1) (アフタヌーンコミックス)

  今かなり来てる漫画というか、いいよと言われることが多くなってきたので読んだらヤバかったです。これはヤバイ。

 美術。実のところ、漫画やアニメという私たちの周りにありふれているのにもかかわらず、まあ、よく分からんという人が多いというか、美術の時間なんて学校では退屈だったり遊んでたという人も多いかもしれない。美術館に足を運ぶのなんて一年に一回あるのかどうか。名前は知ってるけど、ピカソの良さとか分からん、というのもよく聞く話だ。一応学問としてあって、大学があるけど、それっていったいどういう所でどんな人が目指すの? という疑問を持つ人もたくさんいるだろう。この漫画はその美術の道に進むことを決めた人間が美大――なかでも唯一の国立、東京藝術大学を目指す漫画だ。

 主人公、矢口八虎はそれまで美術とは無縁の人間だった。勉強や人間関係をいかにうまく高い所で維持するか、いかに社会の中で「負けない」で生きていくか、そんなふうにしてひたすら人生を“攻略”していくのに腐心する毎日を送っていた。そして、それでいいと思っていた。それは親や教師をはじめとして、多くの大人が彼に期待するそうあるべき一つの理想であり、彼はそれを求められていることを知っているからだ。日常にはこなすべきノルマが無数にあり、それ相応のコストをかけて、得るべき結果を得る。当然のことをしているだけだ。その認識ゆえか、人の称賛は八虎には虚しく感じられる。

 そんな彼にとって美術の時間は、テキトーに単位を取りつつ他の「実用的な」科目を効率よくこなすために睡眠などにあてる時間に過ぎなかった。しかし、美術室に忘れた煙草を取りに行った放課後、八虎は美術室で一枚の絵と出会う。美術部員の描きかけらしいその絵に目を奪われる八虎。その時の感動が彼を変え始める。自分の気持ち、自分の感動ってなんだ? 八虎は仲間と飲み明かした朝の空気――その色を思い出す。

 テキトーに流すはずだった「私の好きな風景」という課題に取り組みだす八虎。そしてそこに込めた「青」を仲間に理解されたとき、彼は絵を描くことに自分を見つける。これが好きだ、と。そう感じた彼は美術部に入部し、好きなことを追求するために美大を――東京藝術大学をめざす。それがこの漫画の既刊(1~4巻)での概要だ。

 八虎は自分を押し殺してきた。いや、自分というものを伝えられなかった。友人たちの中にはいるが、常にその周りをまわってるような人間だった。朝の空気が好きだな、という言葉ですら、怪訝な顔をされ引っ込めてしまう。そんな彼が初めて自分の感覚を描いた絵。それを見た友人に「これ、お前が言ってた朝か?」と言われた時、初めて彼は自分の感動が誰かに伝わる喜びに涙する。

 美術教師は言う。美術は文字じゃない言語だと。美術によって彼は初めて自分の言葉を持ちえたのだ。この漫画は、ある意味いわゆるリア充的な生き方をしつつも自分の言葉を持てなかった人間が初めてそれを得て、改めて自分の周囲と対話してゆく漫画でもある。美術を通して彼は友人や親と言葉を交わし、自らの意思を伝える。

 そして、彼は初めて美術という「好きなもの」を発見し、そのために生きてゆくことを決める。美大を目指すにはどんなことをやっているのか、デッサンや構図の取りかた、予備校での容赦のない講評会。そして彼を待っているのは現役生だと60倍の倍率。そこへ入るためにはどうすればいいのか? これまでの「正しい」勉強のやり方では突破できないとわかった時、彼に道を示すのが「好き」という想いであり、そして同時に彼を苦しめるのもそれなのだ。

 好きだから頑張れる。だけど、好きだからつらくなる。自由でいていいはずなのに自分の作品は順位を付けられ、合否が決められる。他者の評価にさらされるが、そこに目指すべき正しい形はない。自分をいかにして出すのか。常に他者と比較してしまう環境の中で、一位の絵ではなく、自分の「最高の絵」を目指すこと。

 それは、まるで何もない海原を、砂漠を征くような心地がする。好きなものは恐怖へと変わる。楽しくて歩き始めたのに進めなくなる。握りしめた楽しめばいいという言葉も、楽しんで作って、それが否定された時どうしたらいい? 

 そんな、ともすれば隠れそうになる「好き」という自分の本音を偽らないこと――それは文字通り苦闘だ。でも好きだから、だから闘う。それが好きだという気持ちは嘘ではないから。本気だからこそ、そのために闘う。

 美術という文字ではない言語を用いて自分の「好き」を表現すること。この漫画はその道を選んだ人間たちの青春を色鮮やかに描き出している。別に美術に明るくない人間もその姿にきっと引き込まれるだろう。人間は根源的に自分の感動を他者に伝わってほしいと願うものだし、それは美術じゃなくても誰でも持っているものだろうからだ。

 自分の中に生まれた感動を誰かに伝えたい。自分のこれが好きだ! という気持ちが伝わってほしい。それは作中で八虎の先輩が描く絵のように、やっぱりどこか祈りに似ている。どこまで伝わるか分からない。でも、それでも伝わってほしいと思う。私が書くこの文章もそんな思いの産物だ。この漫画から受け取った感動が、少しでもどこかの誰かに伝わることを祈って。それでは、この辺りで筆を置こうと思う。