『バーフバリ 王の凱旋』を観た。確かに凄い。なんというか、むやみなエネルギーがある。マッドマックスとはまた違う、制御しきれない器からあふれ出すようなパワーだ。

 この映画はマトリックスから続く、アニメ、ゲーム、漫画文法の映画化という流れの先にある。ゲームや漫画、アニメのビジュアル化をここまで盛大にやられてしまうと、本当に口を開けて見入るしかない。

 王は強い。というか王族は強い。それは当たり前の前提としてバーフバリの世界はある。陰りや葛藤といったものとは離れた、ものすごい光輝く人間。それは今の日本はおろかアメリカ、ヨーロッパ、恐らく中国やロシアなんかでも失われた人間像。

 言ってみれば近代が捨て去った人間像、と言えるのかもしれない。強い理想、光り輝く人間像。それに突っ込みを入れることで、現在のフィクションは「深み」や「人間を描く」という仕草を獲得してきた。観る側だって、完璧な人間像をリアリティがない、人間味がないというふうにしたり顔で鑑賞することを身の振り方として体得してきた。

 しかし、この映画にはそんな姑息なものは通用しない。光り輝く人間はいる、その名はバーフバリ! そう高らかに宣言し、しかも観る者たちもまたそう頷かせるにたるパワーを彼に与えている。圧倒的な立ち居振る舞い、その迷いのない行動。カントのいう善のように、理由などなく、それそのもの存在自体においてバーフバリは偉大な王にして人間なのだ。

 捻くれきった現代の観客にそれを受け入れさせてしまうその映画のパワーにひたすらひれ伏すしかない。この映画は、その画のゴージャスさといい、かつてあった『クレオパトラ』や『ベン・ハー』といったある種の神話の映画の再来なのだ。それもとびっきりの。失われたはずの神話。それが我々の前に再び現れた。これはそんな映画の奇跡の一つなのだ。