蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

決断せよ:『ペンタゴン・ペーパーズ』

 いろいろタイムリーといいますか、どこもかしこも腐り切った世界で、映画の神様が掲げた力強いプロテストは鮮烈で、まだあきらめるには早すぎる、そんなふうに勇気づけてくれる映画でした。

 まあ、政治的な意味合いは言うに及ばず、普通に主婦として生涯を送るはずだった一人の女性の決断の物語として、ずっしりとくる作品となっています。

 時代の中で決断を下さないといけない時はきっと来る。どっちつかずでいることができなくなる時が。その時何を選び取るのか、その根拠となるものを自分の中にもつことはできるのか。

 

あらすじ

 1971年、ケネディが始め、ニクソンが受け継いだベトナム戦争は泥沼化していた。現地を視察した政府系シンクタンクランド研究所のダニエル・エルズバーグはその泥沼化が事前に予測されていたにもかかわらず、なおも戦争を継続しようとする政府に疑問を抱き、これまでの軍事行動を記録した7000ページにも及ぶ機密文書、通称ペンタゴン・ペーパーズを持ち出す。

 持ち出された文章は一部が全国紙ニューヨーク・タイムズにリークされ、政府がこれまで公表してきた内容が虚偽であったスクープは全米を揺るがす。しかし、政府は国家安全保障を脅かすとして、ニューヨーク・タイムズに対し記事の差し止めを連邦裁判所に対して要求することになる。

 そんななか、一地方紙であったワシントン・ポストは、夫の死で急遽社主となったキャサリン・グラハムが株式公開を控え、なんとかして社主としてふるまおうとしていた。が、役員を含め男ばかりの世界で、担ぎあげられつつも半ば無視されるような日々を送っていた。跡を継ぐはずだった有能な夫の影を懐かしく思いつつも、社の将来を模索するキャサリン

 一方キャサリンの友人でワシントン・ポストの編集主幹ベン・ブラッドリーは、ニューヨーク・タイムズのスクープを横目見見つつ、自分たちも何とかスクープをものにできないかと考えていた。そんななか、ワシントンポストにも同様のリークが舞い込み、元ランド研究所の記者ベン・バグディキアンはかつての同僚であったダニエル・エルズバーグとの接触に成功、7000ページにも及ぶコピーを入手する。

 次の日までに早急に記事に仕上げるために全力をあげるベン達報道部だったが、弁護士たちは情報源がニューヨーク・タイムズと同じだったということから待ったをかける。ニューヨークタイムズが訴えられている中それを報道することは法廷侮辱罪が適用され、負ければ全員が刑務所行きになる可能性がある、と。

 報道の自由は報道によってなされる、という信念のベンたち記者と、株主たちを、そして会社を気にする役員たち。記事を載せるか否か――その最終判断は、社主であるキャサリンの判断にゆだねられた。

 

感想

 報道の自由とは何か、という大きなテーマが宣伝として前面に出ている映画ですが、それと並んで、大きな柱となっているのが、女社主となったキャサリンの決断の物語といえるでしょう。

 父の経営する新聞社を夫が継ぐことになっていて、彼女自身は主婦で終わるはずだった。あくまでお金持ちの奥様であった彼女が夫の自殺によって、右も左も分からない状態で、新聞社の経営に乗り出さなくてはならなくなったのだ。

 このキャサリンという人物を中心に据えたところが、スピルバーグの目の付け所の鋭さというか、上手いところだなあと思いますね。記者視点で、巨悪に立ち向かうというだけではなく、当時としても大変だったであろう女性経営者という視点から、決断することとは、という物語を描く。

 このキャサリンという人物の位置というのが絶妙で、彼女はある意味体制側の人間で、政府の要人たちとの交流があり、国務長官とも顔見知りなわけです。そういう立場の中で新聞社の人間として、彼らの不正を暴くかどうか、という局面に立たされる。記者のベンはひたすら報道の自由を追うわけですが、彼には最終決定権はない。

 つまり、このに描かれる報道の自由、そしてそれは報道によってなされるという信念は、経営者の判断によっている。もちろん、信念は大事だが、それを貫くには最高責任者の判断が必要になる。スピルバーグはこの映画を通じて報道の精神の他に、トップに立つ者たちの責任を促しているのだ、判断せよ、決断せよ、と。

 顔見知りであり、交流のある人物たちが不正を働いていたことを知った時、どのような行動をとるべきか、どちらの側に立つべきか。そこにどっちつかずの中道という道はない。時代が選択を迫る時が必ず来る。その時、判断する者はどのような決定を下すべきなのか。

 報道の精神をひたすら体現しようとするベンに対して、未熟な経営者のキャサリンが、死んだ父の、夫の会社ではなく彼女自身の会社としての決定を選択するまでの物語として描くことで、この映画は報道の精神を声高に訴える以上の映画としての独自の面白みを獲得したのだと思います。

 あと、機械類というか、印刷関係の機器類――暗がりで光を放つコピー機やカチカチと組まれる活字による製版、うなる輪転機といった描写が地味に燃えます。一つの意思決定が、様々な手を通して形になっていく過程がビジュアル化されていいるのもこの映画の燃えポイントですね。

 いわば記事が作られていく、というのがアクション映画でいうアクションのようなビジュアルの高揚感があると言いますか、そのような演出はスピルバーグの上手さといっていいでしょう。そういえば、今回は近作恒例(?)の冒頭にクライマックスがある歪な構成ではなくて、ちゃんと後ろにクライマックスがある構成でしたね。ラストは映画マニアらしい、映画のユニバースをみせてくれてニヤリ。

 まあとにかく、一人の映画人が今の時代に向けてどうしても作らねばと作り上げた作品――その力づよいプロテストには勇気づけられるものがありました。