あらすじ
船舶会社に勤める平凡な会社員、ステファンはある夢を抱きながらも、それを実現する機会を持てないまま、社長にどやされながら意にそわない仕事をこなしていた。そんなある日、急に人魚の姫だという魚、チャオから求婚されてしまう。突然のことに戸惑い、魚に求婚されてもな……という思いを隠せないステファン。しかし、世間はこれを「人間と人魚、両族の友好関係を樹立する」として大注目。社長も人魚の王とのコネクションができることに喜び、ステファンに求婚を承諾するよう迫る。周囲の圧に負ける形で、ステファンはチャオとの結婚生活をスタートさせることになるのだが……
感想
STUDIO 4℃製作のオリジナルアニメ。この夏、『鬼滅の刃』が劇場を席巻する中、公開されたこの映画は、公開後早くも多くの映画館で興行回数の縮小や打ち切りという憂き目にあい、いわゆる”大コケ”映画として、別の意味で注目を集めることとなっている。まあ、この映画、昨今のあらゆる創作物が「大衆にウケる」ことを金科玉条として血眼になっている中で、そういうマーケティング的な視点から(特に日本での)全力で背をそむけている感じで、ある意味、当然の結果といえなくもない。とはいえ、映画としては、そのアニメーションについて評価する声は多いし、 アヌシー国際アニメーション映画祭 審査員賞を受賞している。
監督は青木康浩。ベテランアニメーターで、この作品がおそらく初の長編映画監督。キャストはメインの二人を含め、ほとんどが俳優で職業声優を使っていないし、キャラクターデザインも目をかなり小さく、しかしリアル風というわけでもなくで、アニメ『ピンポン』や『鉄コン筋クリート』など、ない系統というわけではないが、国内アニメの平均からも離れたそれは、ビジュアル面でのフックはあまり見込めないようなデザインだ。ディズニーとかの洋画アニメだって、ぱっと見そのキャラクターたちをずっと見てたいと思うようなデザインしてるじゃないの、と言いたくなるが、まあ、観てると結局は慣れる。ただ、このアニメ、作中のキャラクター内でもデザインのバラツキというか、あたまが異様に大きい三頭身キャラとか、首がない風船みたいな人間とか、その辺の統一感のなさも序盤は慣れない要素になっている(まあ、アニメなんだから、なんでもいいだろ、という意識でこれも観てれば慣れる――いってみればキャラデザなんて所詮は慣れでしかない)。
まあ、そんなこんなでアニメファンに好まれそうな要素から背を向けているのだが、じゃあ、背を向けた先にそれを理解する”大衆”が待っているかというと、そんなことはなく、所詮「アニメ好き」の好みなんて”大衆”とそう変わりはせんわけで。そんな”大衆”がアニメーションのみの評価で観てくれるかというと、まあ、かなり厳しいんだろうなあ……という結果になっている。ただ、こういう作品もちゃんと存在している、というのは良いことだとは思うし、「豊かさ」というのはなんか嫌な言葉だが、なじみのない世界を覗き込める機会あるのは悪くはない。そう思いたい。
で、そのアニメーションについてだが、確かに素晴らしく、総作画枚数10万枚以上という話にたがわないパワーがあり、特に終盤の海での戦い(?)では、ものすごい水の表現によるスペクタクルが味わえるし、中盤のチャオが水しぶきとともに踊るところとかも素晴らしい動きをしている。他にもカーチェイスもあるし、ロボット(!)も出てくる。日本の作画アニメーションを堪能したいという意味でなら、鬼滅の刃もいいだろうけど、せっかく同時期に同じように粋を凝らしたアニメーション作品があるので、興味がある人は観てみるといいと思う。
そうはいいつつ、まあ、なんというかSTUDIO 4℃のアニメにありがちな、プロが観たらすごいんだろうけど、素人が素直にこの動きカッコイイ、とか気持ちいい、みたいなアニメーションの快楽に浸れるのか……というと個人的には何とも言えないところはある。そして、ストーリー面にもやや難があり、分りにくいというわけではないが、どうしてチャオが魚形態から人魚形態に移行するのか――心を許すと人魚形態になるらしいのだが、その心を許している瞬間みたいなのがあんまり伝わりにくいというか、押しかけ女房的に来られたステファンの、当初の、魚じゃん! みたいな反応からチャオを受け入れていく展開はちょっと弱いかも。まあ、結局は破局を経て、ステファンが過去を思い出すことで、本当の意味でチャオを受け入れるのだが、そこもまあ、チャオはそれでいいのか……? みたいな気はしてしまう。てか、そもそも幼いステファンはチャオの姿をちゃんと見てたっけ? その時は恋心みたいな感じはしないし、チャオのそれは刷り込みなのでは……? という気がしなくもない。
それから、この世界には人魚と人間がいて、ステファンがそのさらなる共存の道を開いたみたいにされているのだが、観終わってそういう役割を果たしたようにあんま思えないのもどうかと思う。映画での出来事が終わってからほとんど世間から離れていたみたいだし、そんな世界が一変するような影響力あったのか……?
まあ、それはともかく、物語冒頭で登場する記者が、その世界を変えたとされるステファンを見つけて過去の顛末を聞き、時おり現在の記者とステファンの場面が挟まるというカットバック手法で、最後二人ははどうなったの――という形で気を持たせる構成は悪くない感じだった。
あと、物語の端々にあるキャラクター描写について、今現在の「アップデート」されたらしい価値観からすると、減点対象として扱う人間が出てきそうな要素がないとはいえず、その辺も「ウケ」ない要素になってきそうではある。個人的には最近、そういう「正しい」表現によって、私たちが考えるノイズを取り除けばより大きな支持を得るでしょう、みたいな物言いに対して、他者の表現に対するものすごい傲慢さを感じることも多く、半分はどうでもいい感じがしたが、ただ、幼い時からのすり込みみたいなものじゃなくて、もう少し、チャオの気持ちの面での描写を多面的に描いてほしかったかな、という思いはある。
それから最後に、どうしても魚人⇔人魚なヒロインとか、主人公大好き! みたいな感じで押しかけてくるところとか、あの『ポニョ』を想起せざるを得ないのだが、正直、映画としてなんか狂ったパワーが幼児映画の体裁で叩きつけられていたアレと比べると、何とも穏当な印象を個人的には抱かざるを得なかった。水の表現も波乗りポニョ走りとか、幼児を乗せて爆走する車を追いかける異様な生き物めいた水塊とか、水没する町とその海の中の古代魚たちetc……と表現の幅みたいなのもだいぶあの映画スゴくなかった? みたいな感じでどうしても引き比べてしまって、ポニョの方をやたらと思い出してしまうのだった。
最後の最後、凄くどうでもいい(わけじゃない)のだが、ステファンがスクリューにトラウマを植え付けられる場面、なんでスクリュー付近で作業するときにエンジン切らなかったの? トラウマ与えるための段取りエピソードに見えるんだけど。もしかしたら見落とした理由とかあったのかもしれないが。