蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

 先日の5日の昼頃、津原泰水氏が今月の2日に亡くなっていたことをSNSで知った。

 津原泰水という作家の作品について、僕が初めて触れたのは『ルピナス探偵団の当惑』だった。ミステリ読みなので、密室につられて読んだのだ。読んだ当時は、そこまで惹かれたわけでもなく、そのまま他作品に手を伸ばすわけでもなく、その他多くの作家のひとりとして通り過ぎていってしまった。

 再び手に取るきっかけになったのはSNS。確か、『アクアポリスQ』とそれに関する〈憑依都市〉という企画の頓挫について、事情通ぶった人間からの憶測にめちゃくちゃ苛烈に怒っているのを見かけたのがきっかけだったと思う。

 SNSでの津原氏は、舌鋒鋭いというか、他の作家がどうしても他者を鑑みた穏当なイメージを纏いがちな中で、不正や不誠実に対して苛烈に突き刺すような言葉で臨んでいた。まあ、言ってみれば「怖い人」という感じではあったと思う。

 ただ、氏の作品はものすごく緻密で繊細な文章を操ることで生み出されていた。それは特に短編に顕著で、僕は特に語り手の猿渡と怪奇小説家の“伯爵”なる人物が活躍する幽明志怪シリーズが好みで、この作品から津原泰水という作家と幻想怪奇文学という領域を意識しだしたのだった。

 シリーズは『蘆屋家の崩壊』『ピカルディの薔薇』『猫ノ眼時計』の三集が刊行されていて、各短編は恐怖、怪奇、幻想といった要素の濃淡でそれぞれが独特の味わいを見せてくれる。作品はどれも好きなのだが、あえて個人的偏愛作を選ばせてもらうなら、怪奇と幻想そして少しのミステリ要素が混じった「山羊と城」「続・山羊と城」、カラン、という硝子の容器の清涼感を幻聴する「フルーツ白玉」、“向こう側”に踏み出すその瞬間をとらえたラストが張り付いて離れない「奈々村女史の犯罪」あたりを挙げたい。幻視する力の強い「水牛群」や直球の恐怖「埋葬虫」、ユーモアと悲しみが同居する「超鼠記」なんかもいいし、とにかく全部が素晴らしい。

 そして、津原短編の極限ともいえる短編集が「綺譚集」と「11」だろう。ここには津原氏の短編の精髄が詰まっていると言っていい。

 その他の短編集『たまさか人形堂』『たまさか人形堂 それから』という、人形修復屋を相続した主人公と、そこで働く人形師たちを主人公とした連作集もまた素晴らしい。こちらは人間と人形にまつわる話をミステリ的に語っているので、ミステリ好きはこの短編集から入るのもいいと思う。

 長編もというか、長編は特に幅の広い物語を書き、中井英夫を意識した『少年トレチア』の虚実の間を漂うような怪奇と幻想を、団地という日常の中に現出させたものから、『バレエメカニック』『アクロポリスQ』といったSF、『ブラバン』『クロニクル・アラウンド・ザ・クロック』といった音楽の疾走感あふれる物語、『エスカルゴ兄弟』といった、食とユーモアに彩られた物語など、多彩な物語を描き続けた。

 一方で、津原氏の作品に親しみつつも、僕はなかなかその型にはまらない作品についてどんな感想を持てばいいのか分からないところがあった。なかなか言葉が出てこないことが多く、どんな風に語ればいいのか分からないまま、曰く言い難い気分を抱えて作品の周りをグルグルしていた。

 津原氏の描く物語は、どこか読者のものになることを拒んでいたように思う。読者の懐にするりと潜り込んで、同化するような、自分の物語だと錯覚させるような「感動」とはどこか距離を置いた物語たち。読まれることによって読者のものになるのではなく、あくまで著者が描く誰かの物語であり続けようとする物語たち。

 物語に寄りかかろうとすることを拒むようなそれは、とっつきにくい部分はあるかもしれない。しかし、誰かの物語に、言葉に寄り掛かるのではなく、それそのもを見つめること。それは物語を見つめ、自分の言葉を探すことを促す。

 津原氏は特に不誠実な言葉を嫌った。氏が『日本国記』をめぐり、百田・有本を苛烈に批判したのも、彼らの吐き続ける、言葉を生業とする人間としてあるまじき、不誠実極まりない言葉にあった。死んだ元首相をはじめ、政治家たち(特に自民党)の不誠実な言葉についても津原氏は批判し続けた。そして、そんな不誠実な言葉を吐く「強いもの」たちに寄り掛かるために、彼らの言葉を単にコピーして吐き続ける者たちにも。

 腐った言葉がいくらでも転がっていて、それを何も考えず口に入れ吐き出し、その腐臭のするにおいに仲間意識を持つ人間がここまで多くなるとは。腐った言葉が人を腐らせ、やがて国を腐らせる。僕が津原氏の物語とその言葉の中に見たのは、そんな世界に決然と否を突き付けることだったのだと思う。

 誰かの物語に身をゆだねるのではなく、そこから自分の言葉を見つけること。「自分の言葉」という、それこそ誰かの言葉じゃないかと、冷笑を向ける人間が多くなっている中で、自分だってそんな「いまさら」な言葉、テンプレートなそれでしかないじゃないかと、それを書くときに恥ずかしさに似たものがわき上がる時がある。

 だが、そんなのいまさらと思えるほど考えてきたか? 自分の言葉というものを真剣に考えてきただろうか。自分の中に、言葉はそんなに簡単には見つからない。それを捕らえることもままならない。それでも、自分の言葉で語ろうとする意志を持ち続けること。それはたぶん、これから今まで以上に必要になる。

 津原氏が亡くなってからも、不誠実な言葉はあちこちで当たり前のようにその腐臭を漂わせている。元2chの管理人が沖縄の座り込み運動に仕掛けた下劣な行為と言葉。それに同調し、それを再生産する人間たち。腐った言葉を口に入れ、腐った言葉を垂れ流す。そんな光景を目の当たりにして、絶望というよりも正直、白け切った気分で僕はこの言葉をつづっている。言葉が腐り続ける世界にあって、言葉を発すること自体に虚しさを感じてもいる。

 ただ、それでも、だからこそ、自分自身の中にある言葉を探すこと、探し続けること。そうしようとし続けることしかないのかもしれない。

 同化するためにあるのではない、寄り添うためのものでもない。私が私であることを、その輪郭を確認するために存在する物語がある。僕にとって、津原氏はそんな物語を書く作家のひとりだった。