蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

猥雑の中の哀切:嵯峨島昭『踊り子殺人事件』

※特にネタバレはしていないつもりです。

 

 

 宇能鴻一郎という芥川賞作家にして著名なポルノ作家という存在を、ぼくは特に知らなかった。しかし、うすぼんやりとは意識するようにはなっていた。彼はミステリを書いていたからだ。そして、奇しくも彼が亡くなる直前にその作品を読んでいた。『踊り子殺人事件』、著者名は嵯峨島昭。「さがしましょう」という別名で書かれたミステリだ。この作品は、瀬戸川猛資が遺した評論集から知り、例によって瀬戸川氏の筆にノせられて興味を持ったのだ。一応、嵯峨島昭がとある芥川賞作家の変名であるということは、瀬戸川氏の文章から情報として得ていたのだが、稀代のポルノ作家という情報は(巧妙に)伏せられていたため、一読して面食らった。なんともいえない、あけすけなエロ描写の連続。聞いてないよ~、瀬戸川さん。

 物語は、平凡で日常に退屈するサラリーマンが、魅力的なもと少女歌劇の女性二人のドさ周りに、その色香と退屈な日常からの脱出を夢見てついていく話だ。当時のサラリーマン向け(?)な夢小説のような体裁をとっているが、実はその欲情と風俗の中で、極彩色に彩られた地獄遍歴みたいな小説でもある。

 とはいえ、当時の「時代」がにおってくるくらいしみつき、主人公は常に欲情で理性を失ってはことに及ぶのを繰り返す「サービスシーン」ほとんどレイプ魔みたいな、いや、レイプ魔の所業だ。意識が真っ白になって覚えてないという、酒の言い訳じみた展開の主人公が遭遇する各エロイベントは、普通に辟易したり嫌悪感が出てくるものではある。しかし、主人公が犯した女性が殺され、やがて容疑者として追われる展開をはじめ、それらはミステリの要素として組み込まれたものではある。作品に仕込まれた大ネタを含め、主人公のエロ遍歴は一応、狙って書かれているものではあるし、冒頭のグロシーンにもきちんと動機的な意味が盛り込まれていて、そこに著者のミステリへの真剣な取り組みを見ることができる。この作品は、意外と(というと失礼だが)ミステリ的な結構は細かなトリックを含め整っていたりする。一方で、その根幹は突拍子もないネタが支えていて、それが変格小説的な趣を作品全体に与えている。どちらかというと、変格探偵小説好きは、一読してみるのもいいかもしれない。

 また、当時のにおい立つような風俗を含めた、どこか見世物的な描写は、乱歩の雰囲気がなくもない。乱歩ほど耽美に洗練されてはいないが、その猥雑で下世話な見世物小屋性は、なかなかのものを見せていることは確かだ。なにより、その中で生きている二人の女性とそこに入り込もうとする「堅気」な主人公の、二人への手の届かなさが次第に色濃くなっていく展開は出色で、彼女たちの側へ行こうと主人公が女装する場面は、残酷でグロテスクな悲哀が漂う、この小説の白眉といっていいかもしれない。また、主人公だけでなく、元少女歌劇の二人が次第に落ちぶれていく姿もまた印象深く、見世物小屋的な世界をのぞき込むように読者を誘い込みながらも、そこに生きていくしかなくなった人々の姿を浮かび上がらせる筆致はなかなかだ。この作品は、読む人によれば拒否反応を示すような時代性あふれる描写が満載で(自分もあまり好きではない)、下世話といえば下世話なものに包まれている。しかし、その中でもがく善人とも言いかねる人々の姿は、その寄る辺なさを含めてどこか哀切なものを感じ、なかなか不思議な感興の作品だったと言えよう。

 本作は、その描写の諸々を含め、強烈におすすめするとはいいがたい作品ではあるし、無理して読むような作品ではないかもしれない。しかし、一読忘れがたい読書体験になることは確かだと思う。そんな作品だった。