蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

千街晶之編 感染ミステリー傑作選『伝染る恐怖』

 千街晶之による感染をテーマに、収録作を年代順に並べたミステリアンソロジー。この状況だからこそ読まねばと思いつつ、結構積んでいた。

 この本が出版されてから3か月余り。ワクチンの接種が始まっているものの、状況が好転する兆しはあまり見られない。そして、「感染の祭典」と化しそうなオリンピックへと突き進む現状は、その辺のフィクション同様に恐ろしい状況なのかもしれない。

 まあとにかく、本アンソロジーはこんな時期だからこそ実現したようなアンソロジーで、またこんな時期だからこそ、ミステリは感染症をいかに描いて来たのかという、その一端を概観することは、何かしらの意味を持つのかもしれない。

 

 ※基本的にネタに触れる方向で語っていくため、そのつもりでお願いします。

 

 言わずと知れたポーの傑作である。

 中学生の時に図書室で読んだ時以来の再読になるだろうか。当時はふーん、みたいな感じで読み流していたが、時を経てここまで切実なものとして古典が迫ってくるようになるとは思いもしなかったろう。

 なんというか、某元首相の動画とか、その元ネタである「家で踊ろう」というものを見てしまった自分としては、この短編は寓話と皮肉をたっぷりとたたえた怪奇短編というよりは、もはやこの世界そのものがプロスペロ公の部屋と化しているような気分だ。

 もちろん、いま読者としての自分が直面しているしょっぱい現実云々は、この短編そのものに宿る絢爛で黒光りするような物語の魅力にはかなわない。

 この作品は色彩と音で構成され、特に大時計の存在が一つの肝となっている。狂騒に水を差す時計の時報は、不安という静寂を読者にも呼び覚ます。それは、現実から目をそらしていることを否応なく自覚させる音に支配された沈黙で、それこそがこの作品に宿る恐ろしさなのではないだろうか。

 ホームズが瀕死の病に倒れる、というなかなかショッキングな出だしから始まる一篇。ある意味、それがすべてな短編でもあるのだが、細菌を犯罪に使うというのは当時としては新し目な発想だったのかもしれない。まあ、その辺ははっきりとしたことは分からないが……。見えない凶器、という意味で毒などの延長線から来ている可能性もあったりするのかもしれない。

 ホームズのライヴァルたちの筆頭みたいな感じでよく挙げられる探偵がソーンダイク博士であり、そしてその産みの親のフリーマンーー実はそんなに読んだことがなく、この短編は初めて読んだ。

 年老いたり病気になった猫を引き取って育てている老猫院、そこに設置されている寄付箱へ奇妙なアルミの箱が入れられていた。そこには何故かガラス管に入れられた蚤としらみが……という発端からソーンダイク博士が大掛かりな犯罪の姿をあぶり出す……という一編。若干、というかほとんど題名でネタバレしてるような気もするし、後半の銀行強盗云々は犯罪物語として落とすためのチグハグさを感じるが、奇妙な箱にあった手がかりから、ソーンダイク博士の奇妙な捜査を通じて真相が導き出される手つきはなかなか悪くない。

 それにしても一九一三年の「瀕死の探偵」の個人を狙ったものから、一九二二年の今作は地域全体を巻き込むような形へと発展している点はなかなか興味深い。こういった発想が、第一次世界大戦化学兵器へと結びついていくような、そんな時代の流れを感じるのもまた、古典を現代から眺める楽しさなのかもしれない。

  • 『空室』 マーキー

 これは、実際にあった事件、もしくは都市伝説を小説化したという作品であり、ある種の人間消失ミステリの源流に当たる作品と言えるだろう。

 恐らくジャプリゾの『シンデレラの罠』やカーの「十三号船室の謎」の源流に当たる作品と思われる。

 一緒にいたはずの同行者が消え、慌てて探すも、自分以外の人間たちから、もともとそんな人間はいなかったと証言されてしまうという魅力的な謎は、今でも映画やドラマで見られる人間消失の基本的パターンであり、解説によるとこの作品自体は実際にあった事件とも都市伝説ともいわれる話を作品化したものの一つということらしい。

 魅力的な謎だが、反面、魅力的な解決をつけるのが難しいものであるが、原点たるこの作品は、もともといた人間をいなかったことにする動機について疫病が使われている。そして、パリの大博覧会開催中という作中のシチュエーションが今とリンクしていて、いま読めばより身近な物語として読めるだろう。

 以前読んだら、博覧会や地域の平安を守るみたいな感じでやむをえなかった、というなんかいい話っぽく終わる雰囲気においおい……と思いつつ、まあ、昔だからな、と本を閉じるだけだったかもしれないだろうが、今この国で起こってることと普通にリンクするようでよけい怖い。さらに、自分のいる現在がいまだに過去だと退けたろう19世紀あたりの感覚とつながってそうなのもよけい怖い。

 というか、読書とは過去と現在がやはりどこか地続きであるときことを確認することなのかもしれない。

  • 西村京太郎「南神威島」

 これは、ミステリというより南海の土俗的な雰囲気のもとで描かれる恐怖譚だ。
なかでも、映像的な光景を喚起させる筆致によって描かれる、海の青とまばゆく光る白が、一人の哀れな人間を塗りつぶす瞬間は、出色の恐怖イメージといえよう。そういえば、どことなくあの『ミッドサマー』に繋がっていくような、白々とした太陽のもとに現れる恐怖がある。

 島を訪れた医師は、疫病を持ち込んだことにより、苦境に立たされる。そして犯した選択により、異界の扉が開く。この作品は、土俗的な島を舞台に、彼らの神が支配する異界の恐怖を、疫病を決起として描き、そのどこまでもまばゆい南国の光が島民を影として読者にはりつけるのだ。

 母を殺そうとした娘とそこに横たわる恐ろしい過去、それは復員船の形をしていた――。とにかく、陰惨な話。特に後半の復員船が文字通り疫病船となり、死と恐怖が跳梁し始める描写はとても悲惨。そして、そこから問題の母娘が抱えた罪もまた悲惨極まりなく、疫病がもたらす人間の陰惨な姿が追い打ちをかける。イヤミスという言い方もできるかもだが、あくどい嫌さというよりは、どこか人間の持つ弱さにやりきれない思いがして、その陰惨な光景に目を伏せるような感じの作品。

 こちらは、疫病に襲われたアマゾンの村で起こる殺人をめぐる、なぜ、の物語で、収録作の中では一番ミステリらしいミステリだろう。致死率百パーに近い疫病にかかり、死ぬとわかっている人々はなぜ殺されたのか。

 疫病による奇妙な論理もだが、疫病によってその部族の「世界」の歪さが浮かび上がる。ラストシーンのまだらの赤が、強いインパクトを残す逸品である。

  • 水生 大海「二週間後の未来」

 これは、収録作の中で最新の作品であり、まさに今の状況――明示してはいないがコロナ――によって、主人公の犯罪計画が翻弄されていく様が描かれる。

 全体的な形として主人公の犯罪計画が思わぬ形で収束するかに見えて、また新しい方向に芽吹くというのは、今現在の感染状況と重なるような気もして、今はびこる疫病がダイレクトに作中の犯罪計画そのものへ重なるような気がした。