蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

ウマ娘 プリティーダービー Season2 第六話「なんのために」感想

あらすじ
 春の天皇賞、マックイーンに負けたテイオーは、結果として無敗の夢が破れ、三冠とともに当初の目標を失ってしまった。会長――ルドルフのようにはもうなれない。どこか気の抜けたテイオーはその後のレースも身が入らず、有馬記念は11着と惨敗してしまう。自分以外のウマ娘たちが、走ることにひたむきな中、自分は何のために走るのか……目的を見失うテイオー。しかし、彼女にはまだ悔しいという気持ちが残っている。その熾火のような気持ちを確認したトレーナーは彼女をチームのリーダーに指名する。

 勝つためのものとして引き受けたにもかかわらず、リーダーとは名ばかりの雑用を押し付けられ不満顔のテイオー。しかし、裏方に回り、走りから一歩引いたところから、メンバーの走る姿を見ることで、テイオーは改めて何のために走るのかということを見つめていく。「走る」ということについて再び目を向け始めたテイオーに、トレーナーはとある場所に向かうように言う。そこで、テイオー自身の走る理由を再確認する人物が待っていた。

感想 《彼女に残っていたもの》

 走る目標を失い、気の抜けたテイオーや部屋に貼っていた目指せ三冠ウマ娘の張り紙が全部塗りつぶされているのが悲しい。その他のレースも、走ることに迷ったテイオーのそばを駆け抜けていくように次々と流れていきます。その辺はテイオーの気持ちと連動したような演出になっているような気がしますね。ミホノブルボンの三冠達成なるかどうかも、いまのテイオーには関心が薄い。一応、テレビで特集をチェックして(ウマ娘大陸とは……)気にしつつもまともに目にすることができない。そして、その菊花賞もたまたま通りがかったときにテレビで目にしただけ。自分の後から無敗の三冠に挑戦するミホノブルボン、その最後の菊花賞、テイオーが見ていたテレビでその最後の直線、彼女は後続に交わされて三冠はかなわなかった。その後のインタビューで負けたが得られるものがあったという言葉をテイオーは反芻する。

 何気に、この自分と同じ無敗の三冠を目指し、そして敗れたミホノブルボンの言葉は重要です。負けることで失い続けたテイオーは、負けることは失うことだと思っている。だから、自分には何も残らなくなったと思っている。だからこそ、ブルボンの負けたが得られるものがあった――負けたけど何かが残るという視点に足を止める。この時点で彼女はきっかけをつかんでいるのです。そして、惨敗した後ではっきりとまだ悔しいという気持ちが残っていることを自覚する――それは、勝ちたいという気持ち。

 そのことについては、冒頭の会長との会話でマックイーンが勝ちたいというウマ娘の本能だと述べる形で触れています。この辺の流れは、本当に丁寧ですね。そして、トレーナーによる計らいで裏側から「走る」ということを見ていくテイオー。その中でウオッカダイワスカーレットという「ライバル」二人の姿がまた前を向いていく決起になるのです。

 そんなテイオーを見届けたトレーナーは、彼女を療養中のマックイーンのもとへと向かわせます。そこへ向かうバスの中でファンに合わせるというところもぬかりないですね。11着の時にテイオーが見たのはスタンドの人々の失望したような顔。ここは、一話から一貫してアイドル然としてふるまい、人々もそのようにして応えてきた描写が積み重なってきてただけに、テイオーとしてもつらかったと思います。しかし、レース場から離れた場所では、まだ彼女を応戦してくれている人がいる。ここでも彼女に“残っているもの”を見せていく周到さ。本当にこの回は脚本が丁寧です。

 そして、たどり着いたメジロ家の療養所。そこでテイオーは、春の天皇賞以来けがで離脱したこともあり、久しぶりにマックイーンと顔を合わせます。復帰に向けて一直線のマックイーンにテイオーは、どうして走るのかを問い、彼女はもっと強くなるためだと答える。そして勝ちたい相手――テイオーに勝つためなのだと。さらに、走る理由がなくなったテイオーに対し、自分がその目的になると宣言するマックイーン。最後の最後でライバルもまだテイオーには残っているのです。

 今回はタイトル通りに何のために走るのか、そして、そのために敗北を経ても残ったものが何なのかということをとても丁寧に描いていたと思います。そこのドラマをきちんと描くことで、物語にしっかりとした芯が通る。そういう意味でも見事な回だったと思います。

 あと、EDがまたいいですね。前回が今まで見ていた最後の絵――アップのルドルフからカメラが引いて幼いテイオーの姿がインしてくるそれに、遠ざかってゆく目標の背中という意味がつく演出もよかったですが、今回はその部分が変更されていて、テイオーの目標となったマックイーンが手を差し伸べる第六話の最後のシーンとなっているのも素晴らしい演出でした。そういうところを含めて、本当に丁寧でよく作られている作品だと改めて思いましたね。