蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

 『バーナード嬢曰く。』の五巻が発売されたので、先日読んだ。四巻から二年ぶりということだが、町田さわ子は相変わらず本を読んでいて、自分の二年の停滞ぶりを思うと、なんだかその姿は眩しい。

 今回もとても素晴らしく、彼らと本の風景は、巻を重ねるごとにかけがえのない瞬間を切り取るようなものとなっている。さわ子と神林のやり取りは、これまで以上にその瞬間の切り取り方がウエットになっている。また、今回は遠藤君と神林という珍しい組み合わせが見られる。共通の知り合いを通してグループにいるものの、いざその知り合い抜きで一緒にいる時の距離感の掴めなさは彼ららしくて好きなシーンだ。特に遠藤君の屈折ぶりも増量で、遠藤君好きにはうれしい。

 さわ子と神林はもちろんのこと、全員の読書スタイルが固まってきていて、遠藤君や長谷川さんも交えた4人の読書のスタンスの違いなどが、より本と彼らの姿をくっきりとさせる。その違いというものがやはり楽しい。それぞれのメンドクサさも愛おしくなる。それは、彼らが純粋に読書することを楽しんでいるからだろう。

 それにしても、施川ユウキは取り上げる本の多彩さもそうだが、それを四人の本を読む日常に溶け込ませるのが相変わらず巧い。変に趣味に対する気負ったところもないし、とてもカジュアルでしかし、示唆に富んだ言葉がサラッと語られたりする。四人の関係性や日常を面白く語りながらも、きっちりそこで出てきた本も読みたくなる。そこに押しつけがましさは微塵もない。この漫画から、ごく自然に別の本への枝葉が無数に伸びていて、やはりそこがとても素晴らしいと思うのだ。

 

 一人で読んで終わるのもいいけれど、それについて誰かと語らうことで、本は読む人それぞれの、いかに読んだか、という姿を相手に伝え合う。それは、本を読むことと同じくらい面白いことだ。私は、じかに誰かと本について語らうという経験はあまりない。しかし、ネットによって、どう読んだかということに触れることができた。同じ本を読んで感じ方は様々だし、同じところもあれば、違う所もある。そんな他者との差異が興味深く、だから、私は誰かの感想を読むことが好きだ。もちろん、なんだよその感想……と思うこともあるが、それもまた他者との差異をはかる指標になる。

 今巻には、評価に迷ったり、なにを読むべきか……という読書する時に遭遇する思いに、背中を押すような言葉がちりばめられていて、読書をする、ということに対する元気を改めてもらうことができた。私も自分が読んだ本はこんな感じだったよ、という思いを彼らに伝えるような気持ちで文章を書いていけたらな、と。

 読み終えて早くも次の巻が待ち遠しくなると同時に、そんなふうに思うのだった。