蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

学生アリスシリーズの思いで。

 そういえば、有栖川有栖の学生アリスシリーズについて少し語りたい。

 中学から高校にかけてのことだったと思う。当時探偵小説に飢えていた。小学生の時に乱歩に出会って、探偵小説にのめりこんでいたわけだけど、ホームズ、ルブラン、ヴァンダインの『カブト虫殺人事件』やクリスティの『メンハ―ラ王の呪い』、『大空の殺人』などと読み進んだものの、どこか物足りないというか、国産の探偵小説が読みたいという熱が高まっていたのだ。しかし、今の日本の推理小説と言えばこれ、という風に親から渡された『点と線』である種絶望してしまう。これが今の日本の探偵小説というのならば、自分にとって読もうという気にはなれない、そんな気分だったのだ。そして、その後は宗田理の『ぼくらシリーズ』やライトノベルに傾倒していく(純文学は教科書で読むくらいでわざわざ買って読もうとかは思わなかった)。

 そんな中、本屋をぶらついてた時に隅の創元推理のコーナーにて、表紙のジャケットで目を引いたのがフェラーズの『猿来たりなば』と有栖川有栖の『孤島パズル』だった。その時ようやく東京創元社という出版社を意識の中に入れたのだ。それまで、広く取られた講談社や角川の棚ばかり見ていて、隅っこや裏側の創元やハヤカワは視界の外にあったのだった。

孤島パズル (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書)

孤島パズル (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書)

 

 なんだかんだで迷ってフェラーズを買い、後日やっぱりこれも買おうというふうに『孤島パズル』をレジに持って行った。ぶっちゃけ、あらすじの「密室」という言葉に後ろ髪引かれたのだ。乱歩の『魔術師』を読んで以来、密室とか不可能犯罪に目がなかった。

 だから、初めて読んだときはその扱いにガッカリしたし、探偵役の江神さんの密室に対する、そっと扉を閉めて去る、みたいな玄人な語りもなんじゃそら、というふうに理解できなかった。作中のメインのロジックについても、それが披露される時のヒリヒリするような感覚と、それによってとある光景が目に焼きつく印象深いものとなったものの、なんか求めてたのと違うな、という感じで終わったのだった。その後、不可能犯罪の方を求めて、二階堂黎人ディクスン・カーあたりを読み込んでいって、有栖川有栖自体から遠のいていた。

 転機になったのは、エラリー・クイーンの読み方が分かってきたころからだ。クイーンも当初は、退屈な議論ばっかりであんまり面白みを感じられなく、ほとんどとりあえず抑えとかないとな、みたいな気分で読んでいた。『Xの悲劇』『Yの悲劇』『ギリシャ棺の謎』……どれも長さや探偵(特にレーン)の芝居がかった仕草にイライラしながら読み捨てていった。それが変わったのが『エジプト十字架の謎』で、あの有名なロジック(というか手掛かり)が、本格ミステリにおける論理の魅力、というものの理解への転機となったのだ。そして、その後の『Zの悲劇』や『オランダ靴の謎』で、手掛かりの魅力からロジックの流れ、その展開手順そのものが、快楽であることを教えられたのだ。

 そして準備は整い、次に手に取ったのはあの『双頭の悪魔』。

双頭の悪魔 (創元推理文庫)

双頭の悪魔 (創元推理文庫)

 

 そう、学生アリスのみならず、有栖川有栖の最高傑作との呼び声も高いあの作品である。日本の本格史に残る一大傑作を、このような形で紐解けたのは、とてもいいタイミングだったと言えるだろう。

 推理というものが、そのロジックを積んでは崩し、真相へとにじり寄っていくという過程自体が、こんなにもワクワクするものなのか!――それは一つの大きな体験だった。そして、私はミステリにおけるロジックの追求というものが、トリックの驚きと同等かそれ以上の悦楽を享受できるということを決定的に刻み付けられた。それは、私のミステリにおける、第二のパラダイムシフトだったと言える。

 とにかくこの作品はぜいたくなロジックがふんだんに盛り込まれていて、二つに分断された場所で名探偵江神二郎の鮮やかな推理、そしてその向こう側では名探偵ではないかもしれないが推理小説については人後に落ちないアリスをはじめ、織田や望月といった推理研のメンバーがあーでもない、こーでもないと頭をひねり、推理を披露しては他が反論し、あっちへいきこっちへいきつつ次第に真実へと焦点を当ててゆく。特にそのアリスたちによるすったもんだの推理行が特に素晴らしい。そして、江神、アリスたちそれぞれの推理が一つの像を結ぶとき、この事件の悪魔が姿を現すのだ。

 本当に素晴らしい、国産本格の一品。読んでいないのならぜひ手に取ってその妙技に、そして推理することの楽しさに浸って欲しい。

  そして、さかのぼるようにして手に取ったのが第一作である『月光ゲーム』だった。

月光ゲーム―Yの悲劇'88 (創元推理文庫)

月光ゲーム―Yの悲劇'88 (創元推理文庫)

 

  この作品はクイーンの『シャム双生児の謎』にインスパイアというか、本歌取りをしたような、火山の噴火によってクローズドサークルを形成する作品だ。そして、この作品におけるロジックーーその手がかりはシリーズでいちばん好きというか、印象深いものがある。確かに登場人物が多くて、把握しづらい所はあるかもしれないが、私自身はそこまで気にならなかったし、きちんと区別はつくように書かれている。

 学生アリスシリーズは割とセンチメンタルな色合いがあって、今作ではアリスを含め江神さんにもちょっとロマンス描写があり、先に二作を読んでいたぶん、意表を突かれるところがあった。そして、センチメンタルな部分と事件を明らかにすることで浮かび上がる悲哀のバランス、というのもこの作品から確立されている。メンバー同士のやり取りに見る青春の清清しさや、事件をロジックで解明することをあきらめない冒険的な要素と事件の裏に潜む悲哀の混交のバランスが、このシリーズの魅力の核なんだろうと思う。

 あと、ダイイングメッセージの扱いについて、解明はしつつも犯人特定の要素とはしないというダイイングメッセージに対する近年の本格作家たちのスタンスは、この作品における有栖川有栖の態度が源流のような気がしないでもない。

  そして現在最新作の『女王国の城』に至る。

女王国の城 上 (創元推理文庫)

女王国の城 上 (創元推理文庫)

 
女王国の城 下 (創元推理文庫)

女王国の城 下 (創元推理文庫)

 

  この作品は待ちに待った作品という感じで買ってすぐ読んだ記憶がある。新興宗教という閉じた世界をクローズドサークルの舞台にして、論理だけを武器に江神さんら英都大学推理研メンバーは謎に挑んでいく。今回のロジックは長大な分量にしてはシンプルで、『双頭の悪魔』のような物量で圧倒するようなタイプではないが、シンプルな分え、それだけで分かるの? という切れ味が鋭い。ロジックの居合切りだ。そして何より根幹にあるトリックのアイディアが素晴らしい。シンプルだが雄大なそれを効果的に発揮できる舞台設計との結びつきもいい。

 もはや職人芸のような無駄のないロジックの手つきがひたすらカッコいい。そして、読者への挑戦も。読者への挑戦は全作品にあり、そのどこかロジックに対するロマンティックな文章もまた、このシリーズを彩る要素の一つだ。

 学生アリスシリーズは全五作ということで、残りあと一作を待ち望みつつも、まだ続いて欲しいというジレンマがファンを苛んでいる。私もそんなファンの一人だ。

  最後に、この学生アリスシリーズの魅力というのは月光ゲームのところで述べた部分もそうだが、何と言っても本格としてそのロジックの魅力、その展開というかプレゼンテーションの仕方にあると思われる。ただ単に水も漏らさぬ説明をします、ということを見せつけるのではなく、見落としていた手掛かりを取り出すタイミングや一つの証明から導き出されるロジックの道筋。それを探偵と一緒にたどるような感覚。それはディスカッションの魅力だ。そして、その先にある真実へと至る瞬間に焼き付く手掛かりやロジックのビジョン。それはとある人物の何気ない姿だったり、登場人物にロジックの神が下りてきた瞬間だったり、ある物の手触りだったりする。そういう、ロジックによって焼き付く決定的な瞬間が、その推理を唯一無二の魅力的なものにしているように思うのだ。