蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

あの夏、終わってしまった何かに:映画『Summer of 84』

 閑静な郊外。そこには見知った穏やかな人々がいる――そういうことになっている。

 しかし、誰もその心の裡を知りはしない。お互いが本心を見せたりはしない中、ふと疑いを抱くとき、そこを覗くことは何を招くのか。

 この映画は、80年代のノスタルジックな、しかしどこか得体のしれない郊外の風景を描き出す。15歳の四人の少年たちの青春物語というに風にはじまった物語は、やがてどこかじっとりとした暗がりが彼らの周りに淀み、決定的な出来事が彼らを後戻りのできない場所へと押し流してゆく。

 なにかの“終り”とは唐突にやってくる。これはそんな映画だ。

 

あらすじ

 1984年、オレゴン州イプスウィッチ。ごく普通の郊外に住む15歳の少年デイビーは、仲間のイーツ、ウッディ、ファラディ、そして年下の少年たちとつるんで夜にかくれんぼをして遊んでいた。そんな中、彼は隣人の警察官マッキーの家に見慣れない少年が彼といるのを目撃する。不審に思いながらも、鬼に見つかり、そのまま遊びの中に戻るデイビー。

 しかし、彼はその後家でシリアルを食べるために手にした牛乳パック――行方不明者の目撃情報を呼びかけるために印刷された顔写真を見て、それがマッキーの家にいた少年であることに気がつく。

 イプスウィッチの近隣の街ではここしばらく同年代の少年たちが行方不明になる事件が多発していた。もしかしたらマッキーが何か関わっているのかもしれない。デイビーは仲間たちを秘密基地に招集し、マッキーを監視することに。どこか探偵団的な高揚感の中、彼らはマッキーの不審な行動を少しづつ明らかにしていったかに見えたが……。

 

感想

 隣人が殺人鬼かもしれない――そんな自分たちだけが気づいた世界の秘密についての、少年たちのひと夏の冒険。

 ――なんて思っていたら、最後にとってもイヤな気持ちになること請け合いですので、それを期待する人は『IT』とか見た方がいいです。

 確かに導入部分はそんな感じで少年たちの探偵ものっぽくはあります。少年たちは、UFOだのシリアルキラーだののゴシップ記事を自室に恥ずかしげもなく貼り付けているオカルトマニアっぽい主人公を筆頭にデブ、眼鏡、不良とかなりきっぱりとキャラ分けがされていて、そこに主人公の幼馴染の女の子が混じってくる。なんというかいかにもな感じ。実のところ主人公とデブことウッディ以外はあんまり深く描けてはいない感じなのですが、外見のキャラ分けがきっぱりしているので、見分けつかなくなることはなかったです。あと、主人公以外は家庭に事情がありそうなことだけはどことなく匂わせています。

 それにしても、前半部分はすごいです。何がって、猥談が。この少年たち、ものすごいエロガキで、ことあるごとに裸見てえ、ヤリたい、みたいなことばっかり言ってちょっと辟易します。80年代の15歳というものはこういうものなのか、そもそも15歳の少年とはこういうものなのか。とにかく、中年の猥談好きなオッサンとはこれがこのまま年を取ったんだろうなあ、とは思いますが。

 とはいえ、このやたらと飛び出す少年たちのエロトークというものは、ある意味平和な瞬間の象徴みたいなところがあり、それは後半にかけてスーッと引いていきます。

 この映画、みんなで殺人鬼らしい隣人の証拠を探そうぜ、というノリで進んでいき、恐怖の瞬間を迎えつつも、ある意味少年探偵団ばんざーい、な展開を迎えはするのです。が、最後の最後に付け加えられたいわばエピローグのような部分によって一変します。なんというか、じっとりとした恐怖の感覚が観る者を捉え、そして何かが決定的に終わってしまった感覚を残して映画は終わるのです。

 その終わりの感覚というのは、青春の終わりというより、主人公の人間関係の終りみたいな感覚があります。少年たちは通過儀礼として思春期をくぐり、青春を終える――そんな定型的な青春物語からはどこか永遠に脱落してしまったような、そんな感覚。

 主人公デイビーに唐突に振るわれた終りの刃は、仲の良かった知り合いたちの結びつきをあっという間に断ち切り、そしてそのまま終わってしまう。幼馴染は去り、路でかつての秘密基地を解体する親友たちと目を合わせてもそのまま通り過ぎてしまう少年の姿。

 そしてラストは冒頭と同じく新聞配達をするデイビー。犯人からの“呪い”を受けつつも日常に復帰しているかに見える彼ですが、彼の「隣人」たちはすべて何を考えているか分からない人達になっている。

 人は決して本性を見せない。そんな街で、彼はこれからも生きていく。そうするしかないのだ。