蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

私はどこにもいない:アンナ・カヴァン『アサイラム・ピース』

ここには愛はない。憎しみもない。感情が堆積していく、いかなる結節点もない。                         「終わりはない」

アサイラム・ピース (ちくま文庫)

 アンナ・カヴァンは初めてだった。しかし、その言葉たちは初めてではない、そんな気がした。

 この作品集に収められたものたちは、どれもとても短い短編や掌編たちだ(中篇のアサイラム・ピースもまた、八つの短編、掌編から成っている)。そして、どれもが、「私」を取りまく不安や疑念、焦燥についての言葉たちが織り込まれている。

 私はカヴァンみたいな人間ではない。かと言ってスポーツしようぜ! や、酒でものもーぜ! という方向に突っ走れるわけでもない、非常にボンヤリとした人間でしかないが、それでもカヴァンの綴る言葉が醸し出す不安のカタチはなんとなく分かる……ような気がする。

 とりあえず、一日なにもする気が起きず、ぼんやり部屋の壁を見るともなく見ているような時に手に取れば、この作品の「私はどこにもいない」感覚がよりつかめるような気がするので、そういう気分の時に開いてみるといいかもしれない。

 カヴァンは内なる不安や焦燥、絶望といったものを取り出しつつ、どこか冷静ともいえる手つきで磨いてゆく。この作品を語る時に言われる「狂気にして普遍」というのはそういうカヴァンの自身を見つめる客観的な視点にある。

 そして、不安やそこから来る「私」と世界との境界線を見つめ続けるうちに、すべては茫漠とした何もない場所に彼女の言葉は到達する。

 襲い来る不安もだが、あたたかな抱擁も、鮮やかな鳥たちの姿も、カヴァンの中にあっては「私」を隔絶させるものでしかない。しかし、「私」を隔絶するその「外部」ははたしてどこにあるのか? そんなものはあるのか。境界線上を彷徨ううち「外部」もまたルービンの壺のように「私」の中に裏返り、立ち尽くすのは色のない空白。私はカヴァンとともに、いや彼女の言葉に溶けてゆく。

 そして、本を読み終え、そこから還ってきたとき、彼女の言葉は私の中で白く冷たい結晶と化しているのだ。