蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

真っ白な牢獄:倉野憲比古『スノウブラインド』

 

スノウブラインド (文春e-book)

スノウブラインド (文春e-book)

 

 

 ドイツ現代史の権威、ホーエンハイム教授。その邸宅は蝙蝠館と呼ばれ、軽井沢近郊の狗神窪と呼ばれる小さな窪地に佇んでいた。そこはかつて住人が野獣と化したという奇妙な伝説が残る土地。12月、そこへ毎年の恒例として招待される教授のゼミ生たち。携帯の圏外の山奥は、すでに見渡す限り、どこまでも白い風景が続く。いわゆる雪の山荘と化した蝙蝠館で事件は起きる。使用人のパトリックが密室内で毒を飲まされて死亡。その後、さらに奇怪な事態が残された人間たちを襲う……。

 いわくありげな土地に建つ屋敷、雪に閉ざされ起きる事件、密室、というコテコテの本格ミステリ的なガジェットで幕を開ける本作ですが、その先にある解決は本格ファンが期待するような気の利いたトリックや整然としたロジック、あっと驚く結末の意外性などを期待すると本を投げることになりかねません。あらかじめ言っておくと、本作はそういう本格ミステリではありません。一応、ミステリ的なひっかけネタが組み込まれているのですが、あくまでフレーバーみたいなもので、全体の装飾の一つみたいなものです。基本的には、いかにもな本格ミステリのガジェットとそれが醸し出す雰囲気を楽しむことに軸足を置いて読むのがいいかなと思いますね。繰り返しになりますが、ガジェットに基づく期待――ミステリ的な“気の利いた”もてなしは一切期待しない方がいいです。大切なので、二度言いましたよ。これは我々が概ねそう思う本格ミステリが、そういうものと整備される前の、いわゆる変格探偵小説的なものを目指している作品なのです。

※ここから先は、ネタバレ前提でいきますのでそのつもりで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この作品が目指しているのは、要するに物語の円環構造です。すべては登場人物の一人であるホーエンハイム教授の妄想――見果てぬ完全犯罪への夢。それももはや叶うことはなく、過去の失敗した事件を認めずにこれから行う“未来”の事件を過去から延々と仮構するという、ものすごくねじれた構図の中に読者を閉じ込めようとします。その最後に夷戸武比古の視点というのもまた、教授の中の夷戸武比古でしかないのかもしれない。いつまでも続く、真っ白な教授の妄想は再びまた、冒頭へと帰ってゆく。

 そういう、ドグラマグラ的な円環構造を確かに作り上げていて、その真っ白な牢獄に閉じ込められる感覚、というものこそがこの作品の読みどころであり、その構成美というか、円環のカタチを愛でる、そういう作品なんですね。

 そしてそこで起こる事件はある意味、殺人事件をあーだこーだと練り上げる著者の頭の中みたいなものでもあり、登場人物たちのフロイト精神分析とか、変格探偵小説談義やポンポン出てくるホラー映画タイトルは、著者の好きがただ漏れ状態みたいな饒舌さで、その辺は黒死館殺人事件的な面白さがあります。そして、そういう構成だからできる、事件の軌道修正を図るために時間軸を巻き戻して、同じ人間を何度も違う形で殺し、一人の殺人で複数の事件が形成されるのは、まさに作品を練ってる最中という感じがして面白いです。

 あと、教授のイドたる夷戸武比古が自身の謎解きに酔って暴走し始めると、まずいまずい、みたいな感じで教授の意識が表出するのは、殊能将之の某作っぽくて、そこもなんか面白かったです。

 まあ、多分その事件それぞれが高水準の「解決」を提供していれば、麻耶雄嵩みたいな本格教のカルト作になれたのかもしれませんが……しかし、著者が愛でているのは、そういう本格ではない戦前の探偵小説であり、物語の迷宮に読者を招き入れることなのでしょう。それはこの時代ではあまりにも困難な選択。この後2011年に『墓地裏の家』を発表後、現在(2019)まで沈黙したままなのですが、何とかふたたび筆を執って、その作品が世に出てこないかなあと思います。わざわざミステリとしないで幻想小説じゃないとだめなの? という気もしますが、やはり「探偵小説」じゃないとダメなんだろうな……。