蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

うつし世VS夜の夢:江戸川乱歩『大暗室』

 

大暗室

大暗室

 

  『大暗室』。乱歩の通俗長編の中ではタイトルからして比較的地味な印象で、特に語られることのない作品のように思える。筋立てもいつも以上に行き当たりばったりで構成も少々気が抜けているといわざるを得ない。よって、お世辞にもいい作品とは言えないかもしれない。しかし、この作品に描かれている悪の姿、それが夢想するビジョンは今となってはどこか予言的なものとなって我々の前にその廃墟をさらしている。

 『大暗室』は昭和十一年から連載が開始された。昭和十一年といえば二・二六事件やベルリン・オリンピックの年。国内外でやがて始まる戦争の足音が大きくなり、実際にその連載中に中国との戦争が始まる。時代は一気に戦時体制へと進み、探偵小説誌はやがて次々と廃刊してゆく。これまでの戦前の文化である探偵小説が終り始めている、そんな時代にこの作品は書かれた。

 とはいえ、これ以降乱歩が探偵小説全滅スと記す昭和一六年まで『緑衣の鬼』『悪魔の紋章』『地獄の道化師』『幽鬼の塔』といった通俗長編は書かれてはいる。しかし、それらとこの作品は少し趣きが違うのだ。この『大暗室』は『孤島の鬼』『盲獣』といった作品がほのかに見せていた、犯人の思想的観念的な形で犯罪を世界に向けて放出する、そんな路線の最後の作品のように私は思うのだ。そして、同時に魂の抜けた失敗作である、と。

あらすじ

 『大暗室』の基本的な話は善と悪の戦いだ。舞台は漂流するボートで幕を開ける。そこで救助を待つ三人の漂流者――有明友定男爵、その親友の大曾根大五郎、そして家扶久留須左門。遭難のなか重傷を負い、己を悲観し妻を案じた男爵は、かつて同じように妻京子を想っていた大曾根に京子と自身の財産を託す。男爵は友情からだったが、当の大曾根はそんなものはかけらもなく、元から狙っていたものが転がり込んできたのをこれ幸いと舌をなめずりしていた。しかしそれもつかの間、家扶の久留須が陸を発見する。それを機に大曾根は二人を処分しようとし、男爵を殺害したものの、久留須を取り逃がしてしまう。

 しかし、その後まんまと京子と有明男爵の財産を手に入れ、京子との子が生まれると大曾根は男爵の子であった友之助を事故を装い殺そうとする。間一髪、友之助は大曾根の前に再び現れた久留須に助けられる。久留須は有明男爵の最後、大曾根の本性を京子の前で暴露するも、大曾根は彼らを部屋に閉じ込め屋敷に火を放つ。久留須はなんとか脱出するものの、京子は焼死してしまう。残された友之助を正義の騎士として育てる久留須。一方、大曾根が京子に産ませた子、龍次は大曾根の残虐性をそのまま受け継ぎ、悪魔の下で順調に悪魔へと成長していた。そして、その呪われた兄弟たちはやがて東京を舞台に、二匹の蛇が絡まり合うがごとく死力を尽くした闘争を行うことになる。

 感想

 光と影の戦い。言ってしまえばこれはそんな物語だ。人物的な描写は特になく、子供向けに明智と二十面相の戦いにリライトされたが、確かにそれでも特に問題はない(そのままだと、二十面相の殺人問題とかあるにはあるが)。もっと言えば、ヒーローとヴィラン、つまりアメコミ的な趣がある。さらに言うなら、ひたすら街を混乱に陥れようとする大曾根と優秀な執事を従えた有明はジョーカーとバットマンに見える。バットマン(一九三九年初登場)に先んずること三年、すでにこのような形の物語が日本で生まれていたのだ。

 大曾根龍次はひたすら悪事を働くが、そこには特にこれといった強い動機はない。悪をなすために悪をなす、そんな存在だ。彼は東京の空を黒い火焔で覆いつくすことを宣言する。破壊の風景を現出すること、それが彼の目的なのだ。

 伊藤計劃は、ただある世界観を「われわれ」の世界観に暴力的に上書きする時間を演出する、それだけを目的とした悪役のことを世界精神型のヴィランと呼んだ。金や権力など目もくれず、ある世界に人々を誘うことそれ自体を目的とする観念型悪役。押井守パトレイバーにおける帆場や柘植、そしてノーランの『ダークナイト』におけるジョーカー。

 『孤島の鬼』の諸戸丈五郎や『盲獣』の盲獣はそんな悪役たちの萌芽を感じさせるものだった。『大暗室』における大曾根龍次もそのような悪役としての方向性は見える。しかし、致命的なことに彼は悪役として独自の世界観に欠けている。彼の夢見る風景はスケールが大きいが、ただの破壊の風景だ。その破壊の風景に何らかの彼なりの世界観があったなら、この作品には魂が入ったかもしれない。そう考えると惜しい作品なのだ。

 しかし、この作品が提示した構図自体は面白い。東京を火焔に染めるとして大曾根龍次は東京の地下に広大な空間を造り上げる。それがタイトルの「大暗室」なのだ。そして、その地下帝国と地上との支柱部分に爆薬を仕込むことで、いつでも地上を爆破し、その地下帝国へと東京を引きずり込むことができるとするのだ。その一方で彼は地下空間を彼の王国として造りこんでゆく。人魚をはじめとした異形のモノたち、その王国を彩る楽団、裸身の美女による寝台――これらは「パノラマ島奇譚」の焼き直しだ。とはいえ、地上に関東大震災と同じほどの災厄をもたらすための大暗室は、同時に大曾根の夢想する王国でもある。この地上と地下はある意味、うつし世と夜の夢なのだろう。この作品で、乱歩は自身の夜の夢が、うつし世である東京を飲み込まんとする設定をぶち上げているのだ。しかし、ついに物語としてはその境地に至ることはない。その均衡が崩れ、何かしらのカタストロフが人々を襲い、それにより人々に大曾根の観念的な悪を見せつける又はその寸前まで行けば、この作品はうつし世にヒビを入れる、これまでの作品を突破したものになり得たかもしれない。

 この作品は乱歩の夜の夢がうつし世に牙をむこうとした、そういう意味ではとても面白くぞくぞくするような要素を持っている。しかし、結果的にはそこまで至ることはなく、東京の地下に横たわる「大暗室」はパノラマ島奇譚の劣化コピーでしかなく、その夜の夢自身もどこか力のないものだった。

 乱歩がその構図に無自覚だったということももちろんあり得るだろう、そもそもうつし世は夢であると喝破した彼からすれば、地上の東京などどうでもよかった可能性は高い。しかし、もしかしたらこの構図は、徐々に厳しくなっていた検閲の影響、そして日本の状況が影を落としていたのかもしれない。それと戦わなくてはならないと彼が思っていた……かどうかにせよ、乱歩がその夜の夢をもってしても牙を突き立てることがかなわなかったうつし世である東京。それが、大曾根龍次が夢想したように灰燼に帰すのは、連載終了後わずか7年後のことである。夜の夢はまことになった。ただし、それは残酷でどうしようもないうつし世そのものによって。ある意味、夜の夢の無残な敗北ともとれるその現実を、乱歩はどう思ったのか。それはもう、分かりようもない。