蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

私に衝撃を与えたミステリ10選

 ツイッターでみんなやってたので、現時点の整理として自分自身の10作と、それについてそれぞれなんで衝撃だったのかを書いていこうかな、と。衝撃といっても、個人的な感覚とか結構あると思うし、どの部分が衝撃的だったのか説明した方が、その衝撃性が浮き上がるかな、という風に思ったので。ベストとはまた違いますが(かぶってるものもある)。

『魔術師』江戸川乱歩
『僧正殺人事件』ヴァン・ダイン
『虚無への供物』中井英夫
『ふたたび赤い悪夢』法月綸太郎
『第八の日』エラリー・クイーン
『夏と冬の奏鳴曲』麻耶雄嵩
『斜め屋敷の犯罪』島田荘司
『火蛾』古泉迦十
『名探偵に薔薇を』城平京
『フランクフルトへの乗客』アガサ・クリスティ

 リストとしては以上です。以下、その解説。直截なネタバレは避けてますが、微妙にネタバレを示唆する部分もあるので、未読の方は注意です。

 

 

 

 

『魔術師』江戸川乱歩

魔術師 (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書)

魔術師 (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書)

 

 まずはこの作品。小学3年か4年だったように思う。名探偵明智小五郎シリーズを怪人二十面相からのながれで手に取ったのがこの本だったが、衝撃性はその中にあった残虐性にある。もっというと「獄門船」である。恐ろしさとともにこんなもの読んじゃっていいのか、という背徳感みたいなものもあった。そして、犯人の造形にも、読んでいた自分は衝撃を受けた。これにより、後年クイーンの某作を読んでも特に何とも思わなくなるのだが……。


『僧正殺人事件』ヴァンダイン

僧正殺人事件 (S・S・ヴァン・ダイン全集) (創元推理文庫)

僧正殺人事件 (S・S・ヴァン・ダイン全集) (創元推理文庫)

 

 これは、名探偵という存在が自分にとって単なるヒーローではなくなった瞬間である。終盤のヴァンスの行為に何のフォローもなくて、彼自身もシレっとして幕を閉じ、え、いいのこれ……という思いが童謡殺人以上に残っている。個人的に、この作品の最大の功績というか、後世への影響はそちらにあるのではないのかとすら思ったりしている。


『虚無への供物』中井英夫

虚無への供物 (講談社文庫)

虚無への供物 (講談社文庫)

 

 これはもう、終盤の「犯人」の告発である。ここまで、探偵小説を読むということについて、自分たちの世界とリンクさせたものがあっただろうか。ある意味、世界が探偵小説であることこそが、アンチ探偵小説、反人間のための反探偵小説ということなのではないのか、その世界が裏返る感覚は今でも私の中に深く刻まれている。


『ふたたび赤い悪夢』法月綸太郎

ふたたび赤い悪夢 (講談社文庫)

ふたたび赤い悪夢 (講談社文庫)

 

 これは後期クイーン的問題に初めて触れた作品というか、探偵の、そして著者法月の、探偵を支える根拠などどこにもない! という絶叫がこちらを揺さぶった。え、いいの、こんなこと言っちゃって、という驚き。そして、名探偵の苦悩と苦闘。作家の死か、探偵の死か、そこまで突き進んだシリーズは、悩める名探偵「法月綸太郎」が死ぬことで作家的な死を回避し、以降は悩みを回避した名探偵法月綸太郎として「復活」する。


『第八の日』エラリー・クイーン

第八の日 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-6)

第八の日 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-6)

 

 これはまあ、“土曜日”の一行のインパクトだろうか。ここではない彼岸のような世界での謎解き。舞い降りた新しい救世主とすれ違うクイーンは、どこへ向かうのか。どこかシリーズ最終作みたいな雰囲気が漂う神話的な作品。ファンタジーのガジェットなどを使用していないにもかかわらず、ミステリがファンタジーに越境するような作品でもある。マジックリアリズムとも少し違う、独特の味を持っている。プロットはダネイだが、デヴィットスンによる代筆である。もしかしてそこに独特の雰囲気が生まれているのかもしれない。


『夏と冬の奏鳴曲』麻耶雄嵩

夏と冬の奏鳴曲(ソナタ) (講談社文庫)

夏と冬の奏鳴曲(ソナタ) (講談社文庫)

 

 これはやはり、終盤の崩壊感というか、アイデンティティの崩壊が衝撃的。謎解きを行う根拠が崩壊し、守るべきものが融解する。彼の選択に、そして彼女の瞳の色に読む者は戦慄する。トリックの扱いも衝撃的だった。


『斜め屋敷の犯罪』島田荘司

改訂完全版 斜め屋敷の犯罪 (講談社文庫)
 

 これはもう、トリックそのものに衝撃を受けた。純粋なトリックの衝撃。ん……? からの!? がここまで鮮烈だったのは後にも先にもこれだけかもしれない。


『火蛾』古泉迦十

火蛾 (講談社ノベルス)

火蛾 (講談社ノベルス)

 

 「物語」が人を飲み込むことがある、そういう意味で衝撃を受けた作品。実際にスーフィズムのような酩酊感に覆われ、その先にあるもの。その「物語」が生き物のように人物の背後に忍び寄る感覚は唯一無二の体験である。


『名探偵に薔薇を』城平京

名探偵に薔薇を (創元推理文庫)

名探偵に薔薇を (創元推理文庫)

 

 名探偵の苦悩としては、法月綸太郎やクイーンの真相への到達、その不可能性についてではなく、名探偵であるという運命的な苦悩が描かれ、その名探偵像について衝撃を受けた作品。この作品もまた、名探偵がヒーローであるという私の視点を覆した作品だ。


『フランクフルトへの乗客』アガサ・クリスティ

フランクフルトへの乗客 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

フランクフルトへの乗客 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

 

 こちらは何というか、“正義”を追求し、ポワロの『カーテン』で一つの到達を描いた作家の“失墜”としてのインパクト。持てる者側からの世界の解釈が、とても「穏やか」な世界をもたらすというグロテスクな光景。少しSF的なテイストを持っていて、そのユートピアディストピアを著者が本気で楽園と考えていることもまた衝撃的かもしれない。クリスティの影を凝縮したような作品。伊藤計劃『ハーモニー』の先駆的な作品だと思っているし、たまに同じように言っている人を見かける。

※ 番外

 『エジプト十字架の謎』

 「フランクフルト」と少し迷った。こちらはそのロジックによる衝撃というか、初めてロジックというものを自分の中に刻み付けた作品。それまでトリックをいかに解くかということが、探偵小説だと思っていた私にとって、クイーンの国名シリーズは、探偵がどうでもいい些末なことをグダグダ言って終わる、大してトリックも何にもない作品であった(少し言い過ぎかもしれないが、まあそんなに楽しんではいなかった)。で、この作品も最後あたりまでどうでもよく、乗り物を使った犯人追跡も退屈だった。しかし、エラリーが指摘した一点によって、ロジックというものが、そしてその論理の流れがトリック以上にインパクトを持つものだと、それを侮っていた自分を突き刺してくれた。そういう意味で、自分の探偵小説をどう読むのか、ということについても転換となった作品である。