蒼ざめた犬

齧ったフィクション(物語)の記録。……恐らくは。

恐怖のチキン:映画『キラー・スナイパー』

 

 

 というわけで、またもやフリードキン映画である。2011年公開の最新作で、ヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞にノミネートされたりした、久々に脚光があたったフリードキン映画である。内容は……いつものというか、いつも以上にイッちゃった人々のどーしようもないエロスと暴力の世界である。

 登場人物はほとんどクズしかいない。アメリカのド田舎南部のトレーラーハウスに住む白人一家。要するにホワイトトラッシュものだ。こういう田舎の貧乏白人はこえーぜ、という映画は『悪魔のいけにえ』の殺人鬼一家とか『イージーライダー』の主人公たちを射殺する農夫とか、カリカチュアされた人物たちによる暴力の世界を描いてきた。それはもはやジャンルのように存在している。近年の傑作だと『スリー・ビルボード』とかだろう。この映画もまたそういう映画だ。登場人物たちの教養レベルは著しく低く、とりあえずドラッグ、ギャンブル、セックスという世界観であり、地球が荒廃しなくても、マッドマックスな世界で生きているのだ。まあ、それはいいすぎかもしれないが、とにかく、そんなどーしようもない人物たちによるどーしようもない殺人計画、そしてそこにマシューマコノヒー演じる殺し屋が絡み、笑えないけど笑うしかない方向に転がってゆく。

あらすじ

 物語は土砂降りの雨の夜、ヤクの売人である青年、クリスが父のトレーラーハウスを訪ねてくるところから始まる。両親は別れ、クリスは母と暮らしているわけだが、その母がクリスが預かっていた麻薬を勝手に使い、その損害分の埋め合わせとして金を貸してほしいという。もちろんそんな金はない。突っぱねる父にクリスは提案する、じゃあ、母親を殺そう。彼女は生命保険をかけている、五万ドルの。受取人は父と暮らしているどこかぼんやりした妹のドティー。クリスは父と現在父と暮らす義母の三人で共謀し、母の愛人から保険金話と同時に耳にした殺し屋、ジョーを雇い、彼に母親を殺してもらおうとする。

 しかし、ジョーは前金を要求する。当然払えない彼らに冷たく交渉決裂を告げるが、その時目に入ったドティーに一目ぼれ、「担保」をくれるならやってもいいと親子に迫るのだった。クリスは渋るが、結局ドティーの体を差し出し、ジョーは契約通り母親を殺す。しかし、そこからもともと杜撰すぎるクリスの目論見が外れてゆき、事態は猛烈な暴力と死にあふれる場所へと一家を導いてゆくのだった。

感想

 しかし、『キラー・スナイパー』って邦題なんか微妙ですね。原題は『Killer Joe』なので『殺し屋ジョー』って感じでいいと思いますが。別にカップル向けじゃないし、うっかりカップルで入ろうもんなら黙って出てくること必至ですよこの映画。この後食事? うーん無理だな……。

 クリスが父親のトレーラーハウスを訪ねるのっけから、ドアを開けたら義母の黒々とした局部と対面するという開巻で、義母役のジーナ・ガーションが後の展開含めて多分一番体張ってます。頭がどこかお花畑のドティー役のジュノー・テンプルもかなりあれですが。というか、この子12歳という設定だけど幼さはともかく体はそんな感じしなくて、そのロリ巨乳みたいなプロポーションはアニメみたいだ。そのせいかそこまでマコノヒーのジョーがロリペド野郎に見えない感もするけど。

 まあ、とにかくそんな感じで倫理観とか理性とか色々ずるずるな人間がその場の衝動でテキトーに動いて事態が、というか彼ら自身がえらいことになる、というのがこの映画で、もちろん感情移入なんかできる人間は一人もいませんし、そういう形でなんらかの感動的情動を享受しようというつもりなら、観る必要は特にないでしょう。

 構図的には殺し屋であるジョーが悪魔、ゆるーい感じのドティが天使という位置で、天使に懸想する悪魔、という風にも見える。その中で軽薄極まりない人間たちが翻弄される、みたいな感じでしょうかね。それはともかく、なんというか、軽薄な人間たちの欲望のままの行き当たりばったりな行動に、なんとなく発生する黒い笑いがこの映画のキモと言えるかもしれません。とはいえ、真面目な人はたぶん眉を顰めるだけかもしれません。笑うといってもこの場合、あまりにもヒドイので笑うしかない、みたいな類の笑いですから。

 そしてこの映画のピークは、後半の暴力シーンでしょう。結局のところ保険金はドティではなく母の愛人に下りることになっていて、保険金やジョーのことなどをクリスの耳に入れていたその愛人にまんまと一杯食わされ、しかも愛人は義母とつながっていた。義母を拷問するジョー。それがかなりヤバイというか、顔面ぶん殴って血だらけの彼女に、夕食として買ってあったフライドチキンをしゃぶらせる。それはたぶん映画史上サイテーの使われ方をしたチキンでしょう。マコノヒーの演技もすごいというか、サイテーの演技を最高に演じてくれます。それはもうクリスの父親も思わずゲロ吐いちゃうひどさです。

 そして、裏切っていた義母を自白させ、制裁した次に何が起きるか、食事です。は? と思われるかもしれませんが、ジョーはひっくり返した食卓を直し、結局金が払えなくてジョーを殺すため、密かに拳銃持って帰ってきたクリスを交え、家族全員+ジョーで食卓を囲むのです。義母が淡々とそれぞれにチキンを配り、サラダを盛り、全員が祈りを捧げる光景はシュールを通り越し、これから何が起きるのかわからな過ぎて、もはや黒い笑いどころか怖くてたまりません。

 なんとなくというか多分『悪魔のいけにえ』を意識したようなこの食卓シーンは、本家のようにホラーの意匠を纏っていないにもかかわらず、あれと同じかそれ以上に怖い。この怖さを味わえただけでもおつりがくる。いやまあ、それは人によるでしょうが……。何度も言いますが、映画でポジティブな気持ちになろうとか、いい話に感動しようとか、映画にそういう効用を期待しているのならまったく観る必要はありません。相変わらずの踏み越えた人間たちのクズっぷりの向こう側を、そうでしかないという風にカメラは捉えていき、なるようにしてなる結末の手前で映画は終わります。

 そういうわけで、いつものフリードキン映画が見たいなら、過激な暴力で描かれる異空の恐怖空間が楽しめるでしょう。直後にチキンが食べられなくなるかもしれませんが……。まあ、自分はしばらくしたら唐揚げ食べたくなったので特に問題はないかもしれません。とにかく、チキンが印象に残る映画であることは間違いないでしょう。ほんとにフリードキン、あんたってサイテーな奴だな!